a storyteller ~情熱の原点~ 第11回 腹話術師 いっこく堂氏

「できるはずだ」と挑み続け、唯一無二の技術を生み出す

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さまざまな分野で意欲的に挑戦を続けるイノベーターたち。革新を起こし時代をリードする彼らを突き動かす、その原動力や原体験とは一体何なのだろうか。その核心に迫る「a storyteller ~情熱の原点~」。第11回は、腹話術師のいっこく堂氏。周囲から「腹話術で食べていくのは難しい」と反対されても、「できるはずだ」と独学で技術を磨き、腹話術の新たな表現を切り開いてきた。活動を始めて30年以上がたった今も、「去年より今年のほうがうまくなっている」と語る。唯一無二の表現を生み、絶え間なく進化し続けられるのはなぜなのか。その原点と軌跡を追った。

「腹話術で食べていくのは難しい」と言われても

――腹話術との出会いについて教えてください。

初めて腹話術を目にしたのは、中学2年生のときでした。何気なく見ていたテレビのニュースで、警察官が男の子の人形を膝の上で操りながら、口を動かさずに「横断歩道は手を挙げて渡ろうね」と交通安全を語りかけていました。感動して、「僕もやってみたいなぁ!」と思うと、いても立ってもいられなくなりました。

でも人形がありません。どこで手に入れられるか分からず、警察官が腹話術をしていたのだから警察なら知っているかもしれないと思い、「警察で腹話術の人形は売っていますか?」と迷わず110番してしまったんです。電話の向こうの方に「110番は事件か事故のときに電話しなさい!!」と怒られましたね(苦笑)。その後、母にもいろいろ当たってもらいましたが、結局、人形を手に入れることはできず、腹話術への憧れはいったん胸の奥にしまうことになりました。

写真:いっこく堂氏

――その後はどのような道を歩まれたのでしょうか。

中学3年生のとき、テレビで西田敏行さんの演技を見て、とても元気が出たんです。こんなふうに人を元気にしたり、心の底から人を笑わせたりできるコメディー俳優を目指そうと考え始めました。

俳優は人前に出る仕事だから、度胸を付けるために何かパフォーマンスをしようと考え、高校に入ってから友達の前でものまねを披露するようになりました。現代国語や生徒指導の先生など、特徴のある先生のものまねをしたら、それがすごくウケて。次第に有名人のものまねなどレパートリーを増やし、高校3年生のときには、TBS系の「欽也のそっくりベスト10」の沖縄予選を勝ち抜いて全国放送に出演しました。

高校卒業後は、俳優を目指して横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学しました。進学して間もなく、フジテレビ系の「笑ってる場合ですよ!」のものまねコーナーでグランドチャンピオンになったことをきっかけに芸能事務所からスカウトを受け、同学院を中退しました。ものまねタレントになれば、きっと目立って俳優になれると考えたからです。

ただ、事務所に所属してからは、テレビよりもキャバレーやホテル、祭りなどでの出演が中心でした。そうした活動を2、3年と続けるうちに、もう一度ちゃんと芝居と向き合おうと考え、22歳のときに試験を受けて「劇団民藝」に入団しました。入団当初は楽しかったのですが、徐々に「何かが違う」と感じるようになりました。その違和感と向き合ううちに、「自分は集団で何かを作っていくことが得意ではない」と分かったんです。

写真:いっこく堂氏

そんな気持ちを抱えながら旅公演に出たとき、宴会で劇団員のものまねを披露すると、ベテラン俳優で演出家でもある米倉斉加年さんから「芝居をしているときより、ものまねをしているときのほうが面白い」と言われました。それで悩みを打ち明けると、「一人でできる芸をやりたいなら、基本はしゃべりだから」と、旅公演の間、毎日ネタを聞いて指導してくれました。

旅公演に区切りがついたとき、劇団を離れ、一人で表現を完結させられる芸の道に進もうと決意しました。そのとき思い浮かんだのが、中学生のときに心を奪われた腹話術でした。演じることと声の表現、その両方を生かせると思いました。当時は「素人芸」という印象も強く、周囲からは「腹話術で食べていくのは難しい」と反対されました。それでも僕は、「進化させれば、きっと面白いものになる」と大きな可能性を感じ、29歳で劇団を休団し、独学で腹話術に取り組み始めました。

悔しさから始まった、唇を動かさない技術への挑戦

――腹話術は、どのように身に付けていったのでしょうか。

まず、『だれにもできる腹話術』という本を図書館で借りました。最初はやることが多過ぎて。腹話術の基本の動きは、人形を動かしながら、頭で考え、視線を配る。これが定まるまで何年もかかりました。

そうそう、人形は劇団の照明を担当されていた方が作ってくれました。「腹話術をやるんですけど人形がないんですよ」と言ったら、「俺が作ろうか」と返ってきて。以前、文楽人形と一緒に仕事をしたことがあり、仕組みを知っているとかで(笑)。そうして出来上がったのが、カルロス・セニョール・田吾作です。

鏡を見ながら演技し、それを録画して見直す、という練習を重ねました。初めて腹話術を披露したのは、高齢者施設でのボランティア活動のときでした。自分なりに頑張ったつもりでしたが、終わったあと、スタッフの方に「あんた、アガってたわね」と言われたんです。とても悔しくて、「自分の芸を絶対に認めさせてやる!」と思いました。

それまでは、腹話術だけで生計を立てることまでは考えていませんでした。しかし、その悔しさをきっかけに、初めて「腹話術でプロになろう」と決意しました。それからの1年間は、1日8時間、練習を続けました。練習を重ねるうちに上達し、自信も付いていきました。

――どのようにして、いっこく堂さんならではの腹話術を作り上げていったのでしょうか。

図書館で借りた本には、「高い声を出しましょう」「マ行やバ行、パ行のような両唇音は出せないので、他の言葉に変えましょう」と書かれていました。腹話術では唇を動かさずに両唇音を発音するのは難しいとされています。でも僕は、「できるはずだ」と思ったんです。そこで、唇を動かす代わりに、舌を下唇に見立てて同じ動きができないかと考えました。6年ほどかかりましたが、試行錯誤を重ね、唇を動かさずに両唇音を発音する技術を習得しました。

多くの人に知ってもらうきっかけとなった「声が遅れて聞こえてくる」ネタは、当時、テレビの衛星中継をたまたま見ていたときに思いつきました。画面上の口の動きより少し遅れて声が聞こえてくるのを見て、映像として見える口の動きと、耳に届く声を切り離すという点では、腹話術と同じだと思い、ネタに応用しました。この「時間差」のネタをはじめとする独自の技術が注目され、テレビ出演などが一気に増えていきました。当時は、ほぼ休みがないほど仕事が入ってきて、腹話術に対する世間の見方が変わっていくのを感じましたね。

写真:いっこく堂氏

未知の世界にも、「まずやってみる」で飛び込む

――海外の舞台にも挑戦されていますね。

初めての海外公演は37歳のときで、ラスベガスでの「世界腹話術フェスティバル2000」に招待され、腹話術を披露しました。このときは英語のせりふを丸暗記して臨んだのですが、すごくウケて手応えを感じました。日本だと、最初は様子見をしてなかなか笑ってくれないことがあるんですが、海外では、面白いと思えば最初から大きなリアクションで笑ってくれる観客が多いです。その後は、韓国語や中国語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、タガログ語、タイ語など、さまざまな言語での公演にも挑戦しました。

中国では、何度かテレビに出演させていただき、『西遊記』のパロディーネタなどを披露しました。あるとき、雑技団の小学生が、「おなかを見せてくれ」と言ってきたんです。「腹話術」なので、おなかに口があるのではないかと思ったようです(笑)。

その国の言葉をうまく話せるに越したことはありませんが、それ以上に、伝えようとする気持ちが大事だと感じました。へたくそでも一生懸命話していると、相手も「自分の国の言葉を頑張って練習してくれているんだ」と喜んでくれます。コミュニケーションで大事なのは、気持ちなんですよね。

海外に挑戦したのは、自分の腹話術が世界でどこまで通用するのか、試してみたかったからです。もちろん、未知への挑戦には不安もありましたよ。でも、うまくいかなかったとしても、その経験からは必ず何かを得られます。だから、失敗を恐れ過ぎる必要はありません。違う文化、違う言語の場所に行くことにちゅうちょする人は多いかもしれませんが、すべての準備が完璧に整うのを待っていたら、なかなか行動に移せません。まずは、できることから始めるのが大事です。

――最近は腹話術でものまねをしながら、カラオケチャレンジをするバラエティー番組にも出演されています。

腹話術をしながら、歌手や俳優などのものまねもして、一音も外さずに歌わなくてはいけないので、あれはすごく難しいんですよ。少しずつうまくなってはいますが、まだ完成していません。歌うときの口元が気に入らなくて、オンエアを見て落ち込むこともあります。歯を見せれば簡単なのですが、いかに口を閉じ、わずかな隙間から声を出すか。そこに全力を注いでいます。カラオケに行って練習することもあります。

最近では、ドラマ『孤独のグルメ』を題材にした新しい演目も練習しています。食事をしながら松重豊さんのものまねをするのですが、食べながら話すのが難しいんですよ。もっとうまくなりたいですね。

生成AIとの会話にも面白さを感じています。生成AIにネタの相談をすることもありますし、いずれは生成AIとのやりとりを腹話術に生かせないかと考えています。

今も「もっとできるはずだ」と思い続けている

――30年以上にわたって進化を続けてこられた原動力は何でしょうか。

やはり「腹話術ってすごい!」と言われたいからだと思います。最初の頃は、まだ自分が理想とする技術に到達していない、という思いがずっとありました。今は自分の技術に自信が持てるようになりましたが、それでも常に「もっとうまくできるはずだ」と思っています。実際、去年より今年のほうがうまくなっています。見ている人は気づかないかもしれませんが、どんどん自然な腹話術ができるようになっていて、自分の中では確かな手応えがあるんです。芸をするときだけでなく、日常生活の中でも口の動きを意識しています。生活の中心に腹話術があり、「これを腹話術で表現したらどうなるだろう」といつも考えています。

――自分にしかできない表現は、どのようにすれば見つけられると思いますか。

僕の場合は、ものまね、俳優としての経験、腹話術という、それまで別々にやってきたことが結びついて、今の表現になりました。だから、小さなアイデアでもメモしておくといいと思います。たくさんメモしていくと、1つだけではいまいちでも、「これとこれを組み合わせたら面白いかもしれない」と、アイデアが広がっていくこともあります。

振り返ると、周りからは努力してきたように見えるかもしれません。でも僕自身は、苦しいことに耐えてきたという感覚はないんです。できなかったことが少しずつできるようになる。それが楽しかった。「これだ!」と思ったら、まずやってみる。その繰り返しが、今の自分の表現につながっているのだと思います。

壁にぶつかっても、「もう少し試してみたい」と思えるなら、それが自分の夢中になれるものなのかもしれません。

――新しいことに挑戦しようとしている人へ、メッセージをお願いします。

「楽しそう」「ワクワクする」と心から思えることがあるなら、くだらないと否定せず、自分のアイデアを信じて育ててほしいですね。そして、自分を取るに足らない存在だと思わず、「自分は素晴らしい」「できるはずだ」と考えてほしい。自分に優しくし、自分を大切にすることで、周りの人もあなたを大切にしてくれるのだと思います。

僕も、腹話術を始めたとき、周りから「難しい」と言われました。それでも、自分が面白いと思ったことを続けてきたから、今があります。僕自身、まだ完成したとは思っていません。これからも「もっとできるはずだ」と、新しいことを試していきたい。皆さんも、心が動くものに出会ったら、まず一度やってみてほしいですね。

写真:いっこく堂氏

プロフィール

いっこく堂(いっこくどう)
腹話術師。1963年、沖縄県出身。高校卒業後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学するも、テレビのものまね番組で活躍したことをきっかけに芸能界入り。1986年に劇団民藝に入団。1992年に休団し、独学で腹話術に取り組み、「いっこく堂」として活動を始める。2体の人形を同時に操る腹話術や、口の動きと声を意図的にずらす「時間差」の演技、唇をほとんど動かさない高度な技術で注目を集め、日本を代表する腹話術師として国内外で活躍する。2000年には、アメリカ・ラスベガスで開催された「世界腹話術フェスティバル」でオープニングを飾るなど、言語や文化を超えて観客を魅了し続けている。
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