長野県が展開する「チャレンジナガノ」は、県内の地域課題を集約し、その解決に取り組む県内外の企業をマッチングさせることで、多様なオープンイノベーションを図るものだ。この一環として、白馬村では2022年度に「AIオンデマンド乗り合いタクシー」の実証実験を実施(開催期間:2022年12月~2023年2月、名称:白馬ナイトデマンドタクシー)。同村では特に冬季にインバウンドの観光客などが増加し、村内の移動手段が不足している。この課題解決に向けて、BIPROGYと長野県の交通事業者であるアルピコ交通、そしてオンデマンド型の移動ソリューションを提供するSWAT Mobilityが参集し、地元のタクシー事業者なども巻き込んで、取り組みが推進された。主要なファクターには、AIによるルート提案を通じた交通の最適化がある。例えば宿泊施設と飲食店など村内の所定停留所間を、利用客の予約に応じて無駄なく周遊できれば、省力化や利便性の向上が期待できるからだ。夏季の状況などを把握するため、2023年7月~9月にも実証実験を実施し、さらに知見を集積しつつある本プロジェクト。今回は、12月から第3弾の実証実験を控え、その舞台裏と進化を続けるAIオンデマンド乗り合いタクシーの姿、そして共創によって生まれるこれからの地域交通の在り方の一端をご紹介したい。
- ヘッドライン
「地域の課題を解決したい」との思いがプロジェクトチームの核
――まずは、「白馬ナイトデマンドタクシー」のきっかけとなった「チャレンジナガノ」について教えてください。
矢口「チャレンジナガノ」は、長野県が県内の市町村が抱える地域課題を収集し、企業とのマッチングによって課題解決を目指すものです。地域特性にあった企業の誘致につなげ、新しい企業立地モデルを構築することがその狙いです。「オールシーズン型マウンテンリゾート」を目指す私たちとしては、チャレンジナガノへの参加にあたって2つの課題を挙げました。それは、「新たな宿泊経営モデルの構築や域内調達率の向上を意識した経営の仕組みの構築」と「二次交通(※)手段の確保による来訪者の満足度向上」です。
※二次交通…拠点となる空港や鉄道の駅から観光の目的地にたどり着くための交通手段
今回のプロジェクトは、後者の解決を目指したものです。主な狙いは村内の移動手段の確保。例えば、白馬村を訪れる観光客が食事などに行こうと考えても利用可能な交通手段が不足していました。特に、外国人観光客が午後5時~午後11時の時間帯に移動を考えても手段がなく、これでは観光産業の活性化も促せません。その解決のためにアルピコ交通や、AIで交通課題の解決を目指すモビリティスタートアップのSWAT Mobility、テクノロジーで地域課題解決を支援するBIPROGYの3社とマッチングを図りました。それらが本プロジェクトの端緒です。
「チャレンジナガノ」と白馬村での取り組みの関係性
四季折々、風光明媚な白馬村の情景
――プロジェクトの体制と、3社が参画した背景をお聞かせください。
市原推進体制としては、白馬村がプロジェクトを主催し 、地元の交通事情を深く知るアルピコ交通が進行上のリーダーを務めています。そして、SWAT Mobilityがソリューションを提供し、私たちBIPROGYがプロジェクト全体をデザインし、最適化を図るコーディネート役を担っていました。
末廣当社は、シンガポールに所在する企業です。2015年に創業し、世界トップクラスのルート最適化技術を有していると自負しています。日本には2019年頃に進出し、BIPROGYとともに新潟県の交通課題解決の実証実験に臨んだ実績があります。それ以降もさまざまな場面で一緒に取り組み、私たち自身としても全国各地の交通課題解決に挑んでいます。白馬村のプロジェクトもその流れの中で始まりました。
上嶋私自身は今回のプロジェクト以前に末廣さんと市原さんに接点がありました。チャレンジナガノというオープンイノベーションの場で改めてご一緒することになって。心強くて「おお!」と思いましたね(笑)。白馬村での取り組みに際して、2社がパートナーとなってくれたため、同じ思いで取り組む仲間として、よい出会いに恵まれたなと感じました。
矢口実は、チャレンジナガノのマッチングでは40社近くが手を挙げてくれて、30社ほどからプレゼンテーションを受けました。その中でも、私たちの課題解決に向けては、「地元に根を下ろした信頼と実績のある交通会社」「課題解決につながる気鋭のシステムベンチャー」「全体を取りまとめてくれるコーディネーター」の組み合わせが最適だと考えました。
累計1万2000人が利用した冬のAIオンデマンドタクシー
――「白馬ナイトデマンドタクシー」は2022年12月19日から約70日間運用し、累計で1万2000人が利用する実績を上げました。その成功要因はどこにあったのでしょうか。
矢口本当によいパートナーに恵まれたことが最大のポイントだと感じています。毎週の定例ミーティングで議論を重ねてきましたが、3社のみなさんの前向きな姿勢やアイデアはとても刺激的でした。私たちとしては、実際にタクシーを運行してもらう事業者間のアテンドや利用客向けの専用アプリについての案内などの広報を担当しました。
AIに交通案内などを任せることは初の試みでしたので不安もありました。例えば、AIのナビゲーションに従って車を走らせるタクシー運転手がシステムに対応できるのか、アプリをタクシーの停泊地点でかざすと現れる「仮想停留所」は利用者側に理解してもらえるのかなどで、「クレームが来ないか……」と少し怯えながらのスタートでした(苦笑)。
「白馬ナイトデマンドタクシー」の概要
ただ、2022年度の実証実験が終わってみればトラブルは一切なく、アプリの登録者数は3939人。そのうち外国人が2875人、相乗り率も73%と高く、しかも91%の人がサービス満足度で5つ星評価をしてくれるなど成功裏に終わりました。時期的には、コロナ禍の各種制限が緩和され、「一体どうなるのだろう」という先の読みにくい時期でもありましたが、観光客に利便性を提供できました。村役場で作成した感染症対策のPRムービーを車内で流してくれたことも、利用者の信頼醸成につながったと考えています。こうした取り組みを支援してくれたパートナーの存在は、役場内でも高く評価されました。
共創・創発を通じて利用者・提供者双方にとって利便性の高いアプリに進化
上嶋当社は、本来は運行事業者ですが、今回はプロジェクトのリーダーに徹して運行事業者間の調整役に回りました。村役場が旗振り役をしてくれたこともあって、地元事業者間の連携もスムーズでした。関係者が集う定例会議ではさまざまなアイデアが活発に交わされ、有意義に議論を進めることができました。特に、2022年の12月から1月後半までは利用者の声や運転手の要望を踏まえてアプリを運用しながら、継続的に改善を続けました。こうした積み重ねによって利便性も向上し、アプリの需要も増えてきたので本当に安心しました。システムに強い末廣さんや市原さんの存在がここでも大きかったですね。
訪日外国人向けのAIオンデマンドは、私たちにとっても初めてのことで、当初は利用者が集まるのか不安でした。しかし、取り組みがいざ始まってみるとそれは杞憂でした。アプリで配車することは外国人にとって当たり前で、インバウンド観光客が増える冬季に実施したことも功を奏しました。これまで二次交通の有効なシステムがありませんでしたが、そこにニーズがあることがわかりましたし、白馬村の宿泊事業者のみなさんもメリットを感じてくれて積極的に広報をしてくれました。
――AIオンデマンドタクシーは、白馬村にとって初のトライアルだっただけに、想定外の事態にも直面したのではないでしょうか。
末廣今回の取り組み以前から、白馬村ではシャトルバスを運行していたので、それらのデータを基礎として事前にシミュレーションし、「こういうサービスなら受け入れられるのでは」と想定して臨みました。しかし、いざ実践してみると降雪や積雪による道路事情など、さまざまな要因で予測とのズレが生じ、各種の調整が必要になりました。また運行がスタートし、最初の2~3週間は、利用者の相乗り人数を調整したり、雪道で時間がかかることに対応したり、通れなくなっている道を対象から外したりなど試行錯誤を繰り返しました。当社のAIは、利用者や運行者側から発生したニーズに対応してルートをすぐに再計算する「ダイナミック・ルーティング・アルゴリズム」という特許を持っています。それを白馬村の地域特性を踏まえてカスタマイズし、利活用することで少ない台数での効率的な相乗りが実現しました。現地の状況をよく知っているタクシーの運転手さんにも苦労なく使ってもらえたのではないでしょうか。
上嶋ええ。地場のタクシー運転手は、本当に白馬村のことや道路事情も熟知していますし、プロとしての思いもありますから、多くの運転手の賛同を得るためには臨機応変な対応ができることが重要なポイントです。この点でも、柔軟なシステムに進化しつつあると感じます。
市原プロジェクトのキーワードに挙げたのが「合意形成」と「共創」でした。アルピコ交通の事業者間調整なども奏功し、地元のタクシー事業者を複数社巻き込む形でこの2つを遂行できました。テクノロジーやソリューションありきではなく、地域を形づくるみなさんと一緒にプロジェクトを進め、アジャストできたことが大きかったと思います。
矢口先ほど少し触れましたが、2022年9月から移動制限が緩和されてそこから急ピッチで計画や予算策定を進めた、という難しさもありましたね(苦笑)。
市原本当にそうですね。現在は「チャレンジナガノ」から発展して、「チャレンジ白馬」という愛称のワンチームで進めています。そして、これから持続的なプロジェクトにするためには、移動の利便性向上だけでなく飲食店や宿泊施設などとの連携も深めながら「合意形成」と「共創」の幅を広げていく必要があると考えています。
――第2弾の実証実験が、2023年7月から9月まで行われました。どのような気づきが得られたのでしょうか。
末廣夏の移動需要が冬とは全く違い、利用者数にも開きがありました。アプリ利用者の約9割は日本人で、基本的には自家用車で白馬村を訪れる観光客です。このため、AIオンデマンド乗り合いタクシーを利用するタイミングも異なります。
矢口当初想定していたよりも利用者数は少なかったですね。「1日100人」と見込んでいたのですが、実際には1日70人程度。冬の結果が良かっただけに期待していたのですが、予想とは少し外れました。ただ、気付きの点では良い実証実験になりました。例えば、客層としては日本人の中高年齢層が多かったためか、アプリの操作に関する問い合わせも多くありました。このためアプリ画面の改善や各種告知など、さらに使いやすくするための施策を考えています。
市原多くの課題も見つかりましたが、一喜一憂することなくオールシーズン型マウンテンリゾートとして年間を通して最適な姿を目指していきます。夏の実証実験では、信州大学のMaaSを研究するゼミが、地域課題解決のフィールドワークとして参加してくれました。その中で、白馬村に大学生たちが合宿し、各種のヒアリングも行ってくれました。こうしたつながりを通じた今後の取り組みの発展にも期待できます。
上嶋確かに、夏は自家用車で訪れる日本人観光客が多いだけに、ハードルは高くなりました。ただ、夏場の集客力向上も目的の1つですから、交通事情の改善を通じて多様な需要の掘り起こしにつながると見ています。また、市原さんが触れているように、若い人たちの参画によって白馬村に新たなチャンスが生まれている点は追い風です。次世代を担う世代が参画することで、SDGsや環境、エコなどに対する取り組みも広がりを見せるでしょう。その第一歩として、持続可能な社会の創出につながるAIオンデマンドタクシーという交通手段も定着し、利用者数が伸びていく。そんな可能性を感じています。
白馬村が目指す“世界水準”のオールシーズン型マウンテンリゾートへの展望
交通を軸に、白馬村の課題解決にワンチームで取り組んでいく
――今後の展望についてはどのようにお考えでしょうか。
市原これまで観光客向けAIオンデマンドタクシーの実証実験に取り組んできましたが、来年度以降は福祉バスやスクールバス運行のAIオンデマンド化など住民向けサービスについても、みなさんと一緒に検討していきます。例えば、1日を通した利用者の違いを取り込み、多角的な運用を検討することで地域全体の交通課題の解決を目指したいと考えています。街中の活性化や観光振興、MaaSなど地域が目指す姿にあわせたアプリケーションを提供する「L-PASS」なども私たちは有していますので、その応用も進めて行きたいと考えています。より長期的な展望としては、交通を起点の1つに「交通×飲食」「交通×宿泊」など、対象とする範囲を他の領域にも広げ、観光客にとっても住民にとっても最適で持続的な地域エコシステムとして、白馬村を世界水準のオールシーズン型マウンテンリゾートにしていきたいですね。
末廣これまでの気づきや経験から、新たなチャレンジがすでに始まっています。例えば、「車内へのスキー板持ち込みを有料化する場合にタクシー運転手の負荷をどう減らすのか」「福祉バスやスクールバスと運行を一本化する場合にどんな機能が必要になるのか」などです。当社では新たに乗客管理と運転手管理、そして運行管理を一体化したアプリも開発しました。そこに盛り込まれた新しい機能を活用し、難題の解決に取り組みたいと思います。
上嶋地元の交通事業者として、今回の経験を踏まえながら新たなビジネスモデルを創出し、通年で白馬村を盛り立てたいと考えています。そのためには1社だけでなく、パートナーの力が必要です。まさにこれから始まる2023年の冬は、有償化を視野に入れた実証実験にも取り組みます。ワンチームでの共創という画期的な形でプロジェクトを進め、同様の課題を抱える他地域のモデルケースとなるよう一歩ずつ取り組みを進めて行きます。
矢口交通を軸に他の領域との連携を進めていきます。次は今バラバラになっている福祉バスとスクールバスにAIオンデマンド乗り合いタクシーの知見を取り入れて一本化し、「住民の足でもありながら、観光客の足でもある」という形を実現していきたいですね。四季折々、さまざまな色彩を見せるのが白馬村です。その自然の豊かさやそこに暮らす人たちの笑顔を大切に思う気持ちを持って、これからも誰もが安心して便利に交通機関を利用できる白馬村を目指していきます。