ブルーボトルコーヒー事例に学ぶ、これからのブランドコミュニケーション

目指す未来を共有し、一人ひとりの想いをつなぐことで多様性は力になる

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2000年代前半、「サードウェーブ」と呼ばれるコーヒーの新たな潮流が誕生した。その特徴は、厳選された生産地から直輸入した高品質な豆を使用し、焙煎から提供方法までを一貫した姿勢で丁寧に行う点。この流れをけん引した代表的な企業の1つが、米国で生まれたブルーボトルコーヒーだ。日本への展開は2015年、その立ち上げをリードしたのが井川沙紀氏である。ブランドづくりや従業員との接し方などに悩みつつも事業を成長に導き、後に米国本社のCBO(Chief Brand Officer)として経営チームに参画した。濃密なキャリアを歩み、現在は自身が創業したインフロレッセンスの代表として活躍する井川氏。2023年6月8日と9日の両日にわたり開催された「BIPROGY FORUM 2023」では、井川氏とBIPROGYの安斉健(人的資本マネジメントを担当)と、松岡亮介(オープンイノベーション推進を担当)とともに、これからのブランドコミュニケーションに必要な視点について語り合った。(以下、敬称略)

ヘッドライン

ブームではなく、新しい文化をつくる

コーヒーの分野では、2000年代に入ってから新しい動きが注目されるようになった。「サードウェーブ」ともいわれるトレンドである。その先駆けとされる存在が、ブルーボトルコーヒーだ。2000年代前半に米国カリフォルニア州のオークランドで、音楽家のジェームス・フリーマン氏が創業し、現在は世界で100店舗ほどを展開している。

ブルーボトルコーヒーが日本で店舗をオープンしたのは2015年。日本事業の立ち上げに参画し、日本法人の代表を務めた井川沙紀氏は後に米国本社の経営メンバーとしてCBO(Chief Brand Officer)を務めた。

写真:井川沙紀氏
インフロレッセンス株式会社 代表取締役社長
Blue Bottle Coffee Inc. Strategic Brand Advisor
井川沙紀氏

ブルーボトルコーヒーに7年ほど在籍し、現在は自ら設立したインフロレッセンスの代表として、国内外の企業向けのコンサルティングを行っている。ブルーボトルコーヒーには、社外アドバイザーとして関わっているという。

「豆の調達から焙煎、店舗でのサービスに至るまで、すべてを自分たちの手でこだわりを持って行うのがブルーボトルコーヒーのやり方です。初の海外展開先となったのが日本で、その後さまざまな国に進出しています。日本で事業を始める際、当初はパートナーの日本企業にライセンスを提供する選択肢もありました。しかし、『やはり自分たちのスタイルでやろう』ということで、100%子会社での日本進出となりました」と振り返る。

日本市場に定着する上で、重視したことは「ブームではなく、文化をつくること」だったと言う。

「それまではPR担当者として、飲食系外資の日本事業の立ち上げに参画することがよくありました。この中で、出店直後は店舗に行列ができるものの、数年後には日本から撤退するケースを何度も経験しました。文化ではなく、ブームにしてしまったからでしょう。メディア露出などを担当した者として反省があります」

ブルーボトルコーヒーでは、自分たちの考え方やコーヒーに対する想いをしっかり伝えてもらえるよう、あえてメディアを絞って詳しく説明したという。また、店舗の立地や地元とのつながりも重視してきた。

「日本でも海外でも、素敵な街には素敵なコーヒーショップがあります。そのような存在として、地域の方々といい関係をつくりたいですし、できればファンになっていただきたい。店舗の場所選びでも自分たちのスタイルを大事にしました。1号店を開いたのは東京の清澄白河。材木工場などがある下町で、その風情が創業の地であるオークランドに似ています」と井川氏はいう。

「What」を共有し、「How」は一人ひとりが考え続ける

1号店開設の翌月には、東京・青山に2号店がオープンした。そんな慌ただしい日々の中だったが、徐々に店舗のオペレーションは改善していったという。スタッフの想いをまとめる上で重視したのが、「何を目指すか」を共有することだったと井川氏は強調する。

「まず、『ブルーボトルコーヒーのおいしさ』を定義しました。第1にカップの中身、つまりコーヒーのおいしさです。第2にホスピタリティ、第3に心地よい空間です。何を目指すかを明確にすると、スタッフのみんなが自発的に動くようになりました。『What(自分たちが目指すもの)を共有し、How(どのように実現するか)はそれぞれが考えるスタイル』。それが私たちのブランドづくりのカギだったように思います」

ここで1つの例を考えてみよう。Aさんという顧客が同じ店舗によく来るとしよう。Aさんの期待するサービスは日によって、時間帯によって違うかもしれない。また、同じ店舗を訪れたBさんにはAさんと異なる期待があるだろう。時々の状況を考え、顧客の様子を見て、スタッフは対応を変える必要があるとの考え方。だから、ブルーボトルコーヒーには一般的な接客マニュアルの類いはほとんどないのだという。

また、経営レベルでは売り上げのみにフォーカスするスタイルから距離を置いたと井川氏は話す。

「コーヒーカップなどグッズの売り上げが半分以上を占める時期もあったのですが、グッズをさらに強化してトップラインを伸ばす手法は採用しませんでした。長期的な視点で地域に溶け込み、地元のみなさんに快適な空間を提供することをより重視したからです」

その姿勢に、BIPROGYの安斉健と松岡亮介は共感を示す。

「ブランドの価値をいかに高めていくか。目先の利益だけに集中するのではなく、商品やサービスに想いを込めて、お客さまをはじめとするステークホルダーと息の長い関わり方をする。それが重要ですね」(安斉)

写真:安斉健
BIPROGY株式会社
人的資本マネジメント部長
安斉健

「当社は昨年、社名をBIPROGYと変更しました。ブランドづくりの途上にある私たちの課題感と重なるものが多くあると感じます。Whatを共有し、スタッフが自発的にHowを考えるようにするというお話は示唆的です」(松岡)

写真:松岡亮介
BIPROGY株式会社 グループマーケティング部
オープンイノベーション推進室長
キャナルベンチャーズ株式会社 取締役
松岡亮介

このようなマネジメントスタイルに、どのようにしてたどり着いたのだろうか――。井川氏は、ブルーボトルコーヒージャパンで初めて経営という立場に身を置いた。所帯が小さいときは何でも自分でやるというスタイルだったが、事業成長に伴い次第にそれが難しくなる。

感謝や思いを「言葉」として伝えることの難しさ、大切さ

「最初は、『任せること』が苦手でした。リーダーとしての経験がなかったからです。しかし、仕事での経験を積むうちにやり方を変えようと思い、任せるようにしました。何度も壁にぶつかりながら、誰かに相談したり、ときには言い合いをしたりしながら、少しずつ自分なりのやり方をつくっていきました」と井川氏は言う。

「自律や自走と言うのは簡単ですが、実践するのはとても難しい。管理職にとっては、任せる怖さがあるかもしれませんし、我慢強さも求められるでしょう。そのハードルを乗り越えられたのはなぜですか」と安斉は問いかける。

「自分が任せてもらったから、だと思います」と井川氏。こう続ける。

「2号店の開店の際にジェームス(編注:創業者のジェームス・フリーマン氏)が来日しました。閉店後、私は改善点を指摘されましたが、すべて自身の改善リストと同じで、既に対応を進めていました。自分の感じた改善のポイントがジェームスと同じだったことで、後に、『その感覚が同じなら、日本法人の代表を任せられると思った』とジェームスから聞きました」

「改善リストが一致する以前に、目指す先、描く未来の原動力になる『想い』が同じだったのではないか」というのが松岡の見方だ。実は、1号店オープンの前から井川氏はPR担当として、メディアのフリーマン氏への取材に何度も同席していた。その中で、フリーマン氏のビジョンやフィロソフィーを十分に吸収していたのである。

ただ、組織の代表になる決断は容易ではなかった。最初は断り、2カ月後に再度促されてようやく引き受けることにしたという。フリーマン氏の「やってみて、嫌ならやめればいい」「あなたならできると信じる僕を、信じてほしい」という言葉が井川氏の心を動かした。そんな井川氏のマネジメントスキルが一段と磨かれたのが、米国本社での経験だ。

「いきなり、米国人の部下が数十人もいる場所に入りました。従業員の多様性にも驚きましたが、組織文化に慣れるのにも苦労しました。ブルーボトルコーヒーをはじめとした米国の企業には、フィードバックのカルチャーがあります。何か気づいたことがあれば、気軽に本人に伝えます。当初はよく『サキは褒めないよね』と言われたものです。何かを頼んだ部下がそれを実行すれば、小さなことでも『すごいね、ありがとう』と言うべき。そう指摘されて改めましたが、言われなければ気づかなかったかもしれません」

写真:forum会場の様子

緩やかなつながりが新たな価値創造や体験の可能性を広げていく

日米でマネジメントに携わった経験を経て、井川氏はそれぞれのよさを実感したようだ。

「日本のよさは、丁寧で細やかなオペレーションです。そこで、日本の店舗でのオペレーションを基にプレイブックを作成し、それを世界に展開しました。それは、ブルーボトルコーヒー全体のレベルアップにつながりました。一方、商品やサービスの見せ方、ブランディングは米国のほうが得意。日本では今も、『いいものをつくれば売れる』という考え方が根強いように感じます」

それぞれの強みを身につけたことが、井川氏の現在の仕事にも大いに役立っているという。経営するインフロレッセンス(2022年設立)の事業の柱は大きく3つだ。第1に、海外企業の日本展開におけるブランディングやマーケティング、PR戦略の支援。第2に、ブランディングやマーケティングなどに課題を感じている日本企業に対するコンサルティング。第3に、製造業など異分野の企業が、新規事業として飲食店展開を目指す際のプロジェクトマネジメントである。

「海外企業の日本進出では、市場に対応して何を変えるか/変えないかの判断が非常に重要。その考え方などについてお手伝いするケースが多いですね」と井川氏は話す。実は、BIPROGYにもこれに近い経験がよくある、と松岡は語る。

「例えば、海外のテック系スタートアップなどから、日本市場に入りたいとの相談があります。そうした企業が日本に定着するためには、顧客企業の他システムとのデータ連携など、乗り越えるべき課題が少なくありません。課題解決に向けた適切なアドバイスを行うとともに、日本のIT企業として海外のスタートアップが日本に根付くための確かなオペレーション力も期待されていると感じています」

スタートアップだけでなく、国内外のさまざまな企業と連携しながら、BIPROGYはビジネスを拡大させている。同じような取り組みは、ブルーボトルコーヒーでも行っているという。

「異分野の企業とのコラボレーションによる商品づくり、イベント開催などをよく手がけました。共感するものがあり顧客層が似ている場合など、両方のコミュニティを緩くつなぐことで相互にファン層を拡大することができると考えています」(井川氏)

「ブランディングやマーケティングだけでなく、井川さんは人事分野での経験も豊富です。『従業員に任せる』との話がありましたが、緩やかにつながることは従業員エンゲージメントや働きがいを高めるヒントになるのではと感じます」と安斉は言う。

緩やかなつながりには「遊び」の空間があり、自由に工夫できる余地も大きい。BIPROGYもさまざまな取り組みを通じてその領域を拡大させようとしている。

「緩やかなコミュニティは、ますます重要になると思います。ミッシングピースを埋めてくれるパートナーを探して、あらかじめ決まった場所にはめ込むようなやり方ではなく、ビジョンを共有した上で、それぞれが工夫しながらできることをする。これからの時代、そうしたコラボレーションが求められるのではないでしょうか」と松岡は語り、講演を締めくくった。

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