a storyteller ~情熱の原点~ 第9回 発明家/ロボットクリエーター 中島紳一郎氏
震災を機に、地上走行から月面探索への挑戦。8年かけた超小型探査車で日本初の月面到達を実現
さまざまな分野で意欲的に挑戦を続けるイノベーターたち。革新を起こし時代をリードする彼らを突き動かす、その原動力や原体験とは一体何なのだろうか――。その核心に迫る「a storyteller~情熱の原点~」。第9回は、月面探査車YAOKIを開発・製造する中島紳一郎氏に話を聞く。自動車エンジニアとして活躍していた中島氏は、東日本大震災を機にさらなるチャレンジを決意。8年の歳月を費やしてYAOKIを完成させ、2025年3月には日本の民間企業として初めて月面探査車を月に送り込んだ。夢を実現させる情熱とその歩みを聞いた。
わずか498gの月面探査車YAOKI
――2025年3月、株式会社ダイモンが開発・製造した月面探査車「YAOKI」が月面での撮影に成功しました。ダイモンはその写真を3月8日に公開し、「日本の民間企業として初めて月面に到達し稼働した月面探査車となった」と発表しています。YAOKIについて教えてください。
中島YAOKIは、月面探査の最前線で活躍することを目的に開発した月面探査車です。名前の由来は、ご想像どおり「七転び八起き」から来ています。15cm×15cm×10cmの超小型、498gの超軽量、100Gの衝撃に耐える高強度、そして転んでも倒れても走り続けられる確実走行の構造により、洞窟への投げ込み探査も可能です。これら4つの特性を兼ね備えているのがYAOKIの強みです。
――月面探査において高強度と確実走行が重要なのは想像できますが、小さく軽いことも求められるのですね。
中島月面探査車は月着陸船に載せて月まで運ばれます。月着陸船への搭載費用は、現在1kg当たり約1.5億円です。従来の月面探査車は5kg程度ありましたから、月に輸送するだけで7.5億円が必要でした。
その点、YAOKIは軽量ですから、輸送費用を大きく抑えられます。サイズも従来の探査車に比べて50分の1程度なので、複数機の同時投入や、それによる連続的な月面ミッションも可能です。
――いつ頃から宇宙に興味を持ったのですか。
中島3歳の頃にアポロ11号が人類史上初めて月面着陸に成功しました。世の中が月面着陸の話題で盛り上がっていたのを覚えています。それが幼少期の最初の記憶です。小学生の頃は親の目を盗んで自宅の屋根に上がり、星空を眺めるのが大好きで、気づいたら夜が明けていたこともありました。
プラネタリウムには週1回のペースで通っていました。宇宙と同時に車も大好きでした。お小遣いはすべて車のプラモデルにつぎ込みました。大学は工学部に進むことしか頭になく、卒業後は迷うことなく自動車のエンジニアになりました。
震災が導いた、自動車から宇宙への挑戦
――中島さんは自動車エンジニアとして新しい技術やシステムを次々に生み出しました。
中島私は発明家を自称しています。月に2件以上、年間で30件くらい新しいアイデアを出し、特許を出願していました。その中で一番の発明は、世界的に有名なドイツの自動車メーカーに採用された新機軸の4輪駆動システムです。当時、自動車関連の企業でエンジニアをしていた私は、趣味のスキーで大けがをしてしまい、3カ月ほど会社を休んだら、近々閉鎖になる予定のベルギー工場に送り込まれてしまいました。そこで、「このまま閉鎖するのは忍びない。一発逆転できるようなアイデアはないだろうか」と奮起したのです。この4輪駆動システムの発明によってベルギーの工場は盛り返し、今も稼働しているようです。
その後、ベルギーから日本に戻り、都内でエンジニアを続けていたところ、2011年3月に起きた東日本大震災を経験しました。オフィスから自宅に帰れず、出先で一夜を過ごしました。翌朝、想像を絶する被害を目の当たりにし、「とんでもないことになった。こうしちゃいられない。もっと世の中の役に立つ、スケールの大きなことをやらなければ」と強く思ったのです。この震災が私の人生にとっての事実上の転機となりました。
――それで会社を辞めて、宇宙を目指したのですね。
中島地上の車はやり切ったから、次は宇宙の車を開発しようと思いました。月面探査車を開発する会社を立ち上げましたが、宇宙業界に知り合いがいるわけでもなく、まったくのゼロスタートです。ホワイトレーベルスペース・ジャパン(現在のispace)という宇宙ベンチャー企業で探査車開発のボランティアをしたり、JAXAに行って情報を集めたりしました。
JAXAの方に「探査車を作っても、月に行くロケットはありません」と言われた時はショックでした。それでもYAOKIの開発を続けました。月着陸船への搭載費用は重さに比例して高くなるので、小型化と軽量化をテーマに改良を重ねました。
YAOKIの完成に近づきつつある中、2017年に米国がアルテミス計画(米国主導の国際協力体制の下、持続的な月探査を目的としたプログラム)を発表しました。米国はアポロ計画以来、再び月面を目指すことになったのです。これはチャンスがあるかもしれないと思い、NASAとNASA関連の企業に向けて、YAOKIのプロモーションを開始しました。すると、2年ほど経った2019年秋に、NASAのある関連企業から契約の案内書が送られてきたのです。
案内書には「月着陸船に搭載するには、約1億円の支払いが必要」と書かれていました。戸惑いましたが、8年かけて開発したYAOKIを月に送るチャンスを逃すわけにはいかない。資金をなんとか工面して、契約書にサインしました。
月面到達の実証、そして次なる目標へ
――2025年2月27日、YAOKIを載せた月着陸船「Nova-C」(通称:アシーナ)が打ち上げられ、3月7日に月面に軟着陸しました。しかし、着陸姿勢が悪く、アシーナはクレーターの中に横転してしまいました。
中島横転したことで、アシーナからYAOKIを降ろせなくなってしまいました。しかも、アシーナの太陽光発電システムも使えなくなり、残されたバッテリーでできることしかやれないという状況でした。アシーナには米国が用意しているほかのミッションもあるため、YAOKIに与えられた活動時間はわずか10分。その限られた時間でできることは何かを考えました。
こうしたトラブルを想定し、YAOKIが月面に降りられない場合でも撮影できるよう、収納ケースにはあらかじめ撮影用の穴を開けておきました。その結果、YAOKIは無事に月面の撮影に成功し、モーターを動かして車輪を回すなど、各機能も問題なく動作しました。月面を走行できなかったのは残念ですが、YAOKIが月面で機能することを実証できました。
――YAOKIの月面到達によって得られたものは大きかったでしょうか。
中島YAOKIの開発は月面探査を目的にスタートしましたが、現在では用途が想定以上に広がっています。地下に埋設されているガス管や水道管などのインフラ点検、さらには被災地でのがれきの下の探査に使いたいというオファーが増えています。月面到達によって知名度が上がり、宇宙空間に耐える性能が信頼されているのだと思います。
今後は月面探査と地上での点検の2つの方向で開発を進めます。とはいえ、私がやりたいのは宇宙に関わることです。ゆくゆくはYAOKIに充電機能を持たせて、月面で長期間の活動ができるようにしたいですね。
――最後に、アイデアを生み、夢を実現するためのヒントを教えてください。
中島私がアイデアを量産できるのは、アイデア出しを日課にしているからです。日課だからやるしかないと、自分に言い聞かせるのです。そして、達成したいことは常に100%を目指します。90%くらいのところで十分やった気分になることは多いでしょう。しかし、残り10%に何ものにも代えがたい大切なものがきっとあると信じ、日々突き詰めています。
Profile
- 中島紳一郎(なかじま・しんいちろう)
- 明治大学工学部卒業後、Boschなどで自動車の駆動開発に約20年間従事。Audi、TOYOTAなどの自動車に標準採用されている4WD駆動機構を発明した。2012年に株式会社ダイモンを設立し、月面探査車の開発をスタート。2025年には米国の月着陸船アシーナに搭載された月面探査車YAOKIが月面に到達。日本の民間企業として初の月面到達を実現した。







