医療の未来を技術革新で切り拓く(2)――医療AIの進化をリードする「HAIP」

社会実装への課題を乗り越え医療の明日に貢献

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第1回で、「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診断・治療システム」(内閣府所管)の実現に向けた「医療AIプラットフォーム技術研究組合(HAIP)」の取り組み概要や参加各社の「思い」などを紹介した。今回は、HAIP設立後に参画した各分野のキーパーソンが登場し、HAIPにおける役割や期待、これまでの取り組み、そして将来に向けたビジョンなどについて語った。HAIPが先導する、未来の医療システム・医療AIプラットフォームは確実にその姿を現しつつある――。
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「医療×IT」の専門家集団や「成育医療」のナショナルセンターが参画

「内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」の1つとして、社会実装に向けた取り組みが本格化する「AI(人工知能)ホスピタルによる高度診断・治療システム」。その研究開発テーマは複数の領域に分かれている。 「医療AIプラットフォーム技術研究組合(HAIP)」が取り組むのは、AIホスピタルを実装するためのAIプラットフォームの構築などの領域だ。これまで、日本の医療においてはシステム化やデータ活用の遅れが指摘されてきた。こうした課題の解決は、HAIPの重要テーマの1つである。同様の課題に長年向き合ってきたのが、徳洲会インフォメーションシステム(TIS)である。同社は全国に71病院・340施設を運営する徳洲会グループのITソリューション企業として電子カルテ導入など、「医療×IT」の分野で顕著な実績を持つ。TIS代表取締役社長の尾﨑勝彦氏は次のように語る。

写真:尾﨑勝彦氏
徳洲会インフォメーションシステム株式会社
代表取締役社長 尾﨑勝彦氏

「医療のデータベース統合は、徳洲会グループにおける大きな課題でした。約13年前、電子カルテ統合に踏み切り、医療データを一元管理するシステムを構築。こうして蓄積した医療データを臨床研究などで活用する例も、少しずつ増えてきました。しかし、医療データを十分に活用しているとは言い難いのが現状。徳洲会グループだけでなく、日本全国の医療機関が集めた医療データを使いこなせれば、社会に大きなメリットがあります。そんな将来を目指すHAIPの活動に共感し、組合員として参加を決めました」

「小児・周産期医療」のナショナルセンターである国立成育医療研究センターもHAIPに参加している。同センターは研究所や病院を備えており、深い専門性に基づく高度な医療を提供している。同センターはHAIPの他、SIPが推進する研究テーマ 「医療現場におけるAIホスピタル機能の実装に基づく実証試験による研究評価」の構成メンバーでもあり、AIホスピタルのプロジェクトに深くコミットしている。同センター病院長の賀藤均氏は、HAIPへの参加の狙いをこう説明する。

写真:賀藤均氏
国立研究開発法人 国立成育医療研究センター
病院長 賀藤均氏

「AIを活用した診断支援システムや遠隔医療システムなど、私たちはこれまで独自にさまざまな取り組みを進めてきました。ただ、その社会実装を考えると、当センターだけでは限界があります。さらに、診療報酬の在り方など具体的なテーマを考えるためには、多様なステークホルダーとの議論が欠かせません。HAIPに参画することで、社会実装への道筋が見え、そのための多角的な議論もできると考えました。私たちには、開発側の経験と共にユーザーとしての立場もあるので、この両面からHAIPに貢献したいと考えています。加えて、小児医療の視点を医療AIに生かしたい気持ちもあります」

「医療AIプラットフォーム」のポータル画面(イメージ)

画像:「医療AIプラットフォーム」のポータル画面(イメージ)
HAIPでは、高度で先進的なAIサービスを簡単に利用できるポータルサイト機能を具備したサービス事業基盤の提供を目指し、研究開発に取り組んでいる

医療現場の改革と均てん化、分断されたデータの連携・統合

次に、クラウド事業者としてHAIPに参加している日本マイクロソフト。「Microsoft Azure」は世界規模のメガクラウドだが、医療向けAzureを活用する医療機関も増えている。ヘルスケアにおけるDX支援は、同社の注力分野の1つだ。

写真:大山訓弘氏
日本マイクロソフト株式会社
業務執行役員
医療・製薬営業統括本部長 大山訓弘氏

「HAIPへの参加前から、私たちはヘルスケア分野での活動を3つの軸で考えてきました。第1に、医療の技術やサービス、医療従事者の労働環境などを含めた医療現場の改革。第2に、地域差や医師の技術のバラツキなどの解消支援を目指す医療の質の均てん化(編注:医療技術格差などの是正を図ること)。第3に、医療機関ごとに分断されたデータの連携、または統合です」と話すのは、日本マイクロソフト業務執行役員 医療・製薬営業統括本部長の大山訓弘氏だ。こう続ける。

「これら全てのテーマとHAIPの取り組みは密接に関係しています。目指す方向性も合致していると考え、HAIPに参加しました」

そして、AIホスピタルの社会実装が進めば、AIプラットフォームを介して医療周辺の分野に影響が広がるだろう。代表的な分野の1つが生命保険だ。HAIPには大樹生命保険も参加している。商品開発部 商品開発グループの酒井健介氏は「医療技術の目覚ましい発展を受けて、生命保険の役割も変わろうとしています。私たちとしても新たな社会貢献の在り方を模索しています。そんな折にHAIPの取り組みを聞いて参加を決めました」と語る。

写真:酒井健介氏
大樹生命保険株式会社
商品開発部 商品開発グループ
酒井健介氏

近年、生命保険業界は「健康増進」や「予防(未病)」という観点での商品開発を強化している。大樹生命保険も同様だ。例えば、同社の保険商品「健康自慢」は、健康診断の結果に応じて対象となる特約の保険料が割引される仕組み。健康診断という広義の医療データと保険は連携が進み、契約者の利便性向上に向けて将来的にさらに密接になるだろう。ただし、そのためには克服すべき課題もあると酒井氏は指摘する。

「現状、『医療』と『保険』との間には、壁のようなものを感じることがあります。発生した事象の捉え方が異なるケースも存在します。それだけに、医療AIの意味や与える影響を注意深く探る必要があります。『医療AIが医療構造をどのように変えるか』『保険の在り方にどのような影響を与えるのか』。こうした思索を深めるためにも、HAIPでの活動を大切にしていきたいと思います」

HAIPを医療分野のオープンイノベーション発展の起爆剤に

HAIPでは現在、さまざまな医療AIサービスの搭載が進行中だ。その一例が「Dr.アバター」によるインフォームドコンセント(IC)支援サービス。対面によるインフォームドコンセントの時間を大幅に減らすとともに、患者に分かりやすく内容を伝えて理解を促進する。このサービス開発は国立成育医療研究センターをはじめ、SIPに参加する医療機関と日本ユニシスの協力体制をベースに進められている。

医療AIサービス事例「Dr.アバターによるIC支援サービス」(イメージ)

画像:医療AIサービス事例「Dr.アバターによるIC支援サービス」(イメージ)
医療の高度化に伴い、患者さんへのインフォームドコンセント(IC)などの重要性が高まり、医療従事者にとっての負担増加が課題に。こうした背景から「Dr.アバター」では対面ICまでの待ち時間を利用した主治医のアバターによる事前説明を実施することで、医療従事者の負担軽減と患者理解度を向上させる仕組みを提供する

国立成育医療研究センターはこのほか、音声内容を整理してカルテに自動入力するシステムや医療ロボット開発などにも参画している。賀藤氏が大きな期待を寄せているのが診断支援システムだという。

「小児科では希少疾患が多く、医師が生涯に一度しか出会わないような病気もたくさんあります。診断難度も高いので、AIによる支援には大きな意味があります。また、自閉症では早期診断と介入が重要ですが、専門医が少ないため、容易ではありません。小児がんはゲノム・病理・画像等による総合的診断が治療と直接結びつきますので、その診断支援システムにも期待しています」

同センターには、全国の医療機関から小児がんに関する全ての病理データ、遺伝子関係データなどが集まってくるという。ナショナルセンターの役割として、こうしたデータを集める仕組みが以前から整備されていたのである。もちろん、希少疾患のデータも集まってくる。同センターは、こうしたデータを基礎に診断支援システムの開発に取り組んできた。

「小児疾患の希少疾患の診断支援システムとして、症状だけでなく、顔や体形などの写真を用いたシステムを開発中です。患者さんのデータは全国から集まってきますが、コントロールとなる疾患のないお子さんたちの顔や体形の写真はなかなか集まりません。今、ボランティアを募るなどしてそのデータを増やしているところです」と賀藤氏は言う。豊富なデータを蓄積している国立成育医療研究センターは、国内では特殊な例と言えるかもしれない。一般的な医療機関や教育機関などでは、AIを十全に機能させるための教師データの不足が課題視されているようだ。尾﨑氏は次のように話す。

「主としてAI活用とAI開発基盤の両方で、私たちはHAIPに関わっています。この中で課題と感じるのは、日本ではオープンに活用できる教師データがほとんどないこと。大量の教師データを研究者や学生がアルゴリズム開発に活用できる環境構築は、AI人材育成の観点からも極めて重要です。そんな環境づくりにおいても、HAIPには期待しています」

今、徳洲会グループは新型コロナ対応に注力しているが、2020年2月にダイヤモンド・プリンセス号で発生したクラスターの患者さんを多数受け入れたことでも知られる。こうした診療の経験を通じて得られたデータは、その後の医療活動に生かされた。また、そのデータを利活用して高精度の重症化予測の開発にも着手している。

「徳洲会グループが蓄積したデータをオープンにする仕組みがあれば、優秀な研究者が私たち以上の精度の予測モデルをつくれるかもしれません。今後、日本で必要とされるオープンな医療データのプラットフォームになり得るのは、HAIPのAIプラットフォームしかないと私は考えています」と尾﨑氏。欧米などでは、すでにオープンな医療データ活用の仕組みが立ち上がっている。日本はキャッチアップのスピードを速める必要がありそうだ。

写真:八田泰秀
日本ユニシス株式会社
常務執行役員/HAIP理事長
八田泰秀

医療データを研究や教育に生かすという視点は、今後さらに重要になるだろう。HAIPには、教育研究機関からの問い合わせも多いという。日本ユニシス常務執行役員(HAIP理事長)の八田泰秀はこう説明する。

「現在、HAIPへの加入を検討している教育研究機関が複数あります。HAIPへの期待は大きく2つあります。1つは自分たちが以前から研究を続けてきた技術などを医療分野で生かしたいという点です。もう1つはAI開発基盤を活用したAI人材の育成です。HAIPに対するアカデミアからの熱い視線を感じます」

AIプラットフォームに求められる高い倫理性とセキュリティ対策

「大量の医療データをいかに安全に管理するか」という観点も、HAIPの重要なテーマだ。大きな役割を担うのが日本マイクロソフトである。大山氏は「データはあくまでも患者さんのものです。私たちはデータをお預かりする立場であり、活用する立場ではありません」とした上で、こう続ける。

「クラウドのプラットフォームに医療データを載せればいい、といった単純な話ではありません。医療データを扱う以上、法規制や政府のガイドラインが求める以上の高水準のセキュリティ対策が必要です。同時にデータ収集には、高い倫理観が求められます。AIの判断が偏らないよう、適切なデータの持ち方を工夫する必要もあります」

大山氏が強調するのは、倫理の重要性だ。ときに、クラウド事業者が不適切な用途にデータを利用したとの報道も見られる。こうした中で、同社はいち早く社内倫理委員会を立ち上げるなど、データの扱い方についてのルールやプロセスを成熟させてきた。もう1つのポイントがセキュリティ対策だ。大山氏は次のように指摘する。

「AIを活用して患者さんや医療従事者のための新しいサービスを開発する――。この部分は日進月歩で進める必要がありますが、同時にサイバー攻撃の手法も時々刻々と進化しています。セキュアな環境をいかに守るか。そのためには、AIのアプリケーション開発とセットでセキュリティを総合的・多角的に考える必要があると思います」

日本マイクロソフトは他の参加企業とも協力して、AIプラットフォームの開発を進めている。そのアーキテクチャの根幹部分については、ほぼ開発を終えた段階という。AIアプリケーション開発において必要と思われるコンポーネントについては、同社が開発することも視野に入れている。「私たちがアセットを用意することで、アプリケーションの開発スピードが上がる側面もあると考えています。そうしたコンポーネント開発は積極的に進めていきたいですね」(大山氏)

日本の社会課題解決と「未来の医療」の実現を目指す

AIプラットフォーム上で動くアプリケーションの開発は、各参加メンバーによって着実に進められている。これからも、新しいアイデアが次々に生まれ形になっていくはずだ。そのためには、アイデアを具現化するための場が重要と、賀藤氏はいう。

「理学部や工学部、医学部などの研究者や学生、医療現場をよく知る医師などが集まって、各々の持つアイデアと、AIやデジタルの知見が出会う場所が必要です。いわば、お見合いのような場。お見合いがうまくいけば、プロジェクトを組成して各分野の専門家が一緒に開発する体制をつくる。場づくりのために、私たちも何かできないかと考えているところです」

医療AIの進化によって、医療は大きくその形を変えることだろう。HAIPの参加メンバーは、未来の医療像を明確にイメージしている。「例えば、自宅に置いたデバイスからネットワークを経由して、医療機関が患者さんの血圧や体温などある程度のデータを収集することは可能です。そのデータをAIが解析した上で、『今、病院にいくべきかどうか』といったスクリーニングを行うこともできるでしょう。通院が減れば患者さんと医療従事者、双方の負担を減らすことができます」と尾﨑氏は話す。

医療AIサービス事例「糖尿病モニタリング補助サービス」(イメージ)

画像:医療AIサービス事例「糖尿病モニタリング補助サービス」(イメージ)
把握の難しい糖尿病患者さんの健康状態や生活習慣データを各種の計測機器と連携し、遠隔収集することで、治療効果を高める。この仕組みを応用することで、糖尿病以外の分野でもAIによる「今、病院に行くべきなのか」というスクリーニングが実現し、患者さん・医療機関双方の負担軽減につながる。こうした未来の実現に向け日本医師会などとも連携し、HAIPでは先端研究・開発が進んでいる

尾﨑氏の言葉を受け、賀藤氏はさらに先の未来像について期待を込めてこう語る。

「将来的には、触覚や嗅覚を含めた五感のデータを、遠隔に届けることも可能でしょう。次世代通信網である5Gを用いて、ロボットを使った遠隔手術も実現するはず。遠隔医療の進化は、医療アクセスに時間のかかる地域の人々の生活向上につながりますし、過疎対策にもなります。出産を控えた妊婦さんの負担も軽減できるので少子化対策にも奏功するでしょう。日本の産業の中でも、医療は『最もグローバル化が遅れた分野』とされています。こうした現状を変え、世界に展開できるような医療サービスを、HAIPの取り組みの中からぜひとも生み出したいと思っています」

また、酒井氏は、保険のプロフェッショナルという立場から「医療AIの進化は、日本社会に大きな影響をもたらすでしょう。患者さんと医療機関との関係や医療のコスト構造なども変化するはず。それは、日本社会において非常に大きな変化です。これらを見極めながら今後の議論に貢献できればと考えています」と話す。

酒井氏の言葉を受け、大山氏は社会と医療、両方の視点からこう指摘する。

「医療費の適正化は社会的な課題です。HAIPはこの課題解決へのアプローチになりますし、同時に医療従事者の負担軽減にも寄与するでしょう。もう1つ、HAIPは間接業務に多くの時間を割いている医療従事者が、患者に向き合う時間を増やすことにも役立ちます」

多様な医療AIサービスの社会実装、それを全国の医療現場に届けるために、それぞれの参加メンバーは真剣にこの活動に向き合っている。同時に、確かな手応えを感じてもいる。HAIPが切り拓く新たな医療のフロンティアに今後も期待したい。

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