超長寿社会における「生きること」と「死ぬこと」(前編)

“失敗”を許容することで見えてくる「自分らしい生き方」

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「終活」という言葉に象徴されるように、多くの人たちが「いかに最期を迎えるか」を真剣に考えている。かつては、終活に悩む人はあまりいなかった。家族や地域の中で、穏やかに死を迎える人が多かったのではないだろうか――。では、現代において、私たちは死をどのように捉え、向き合うべきだろうか。天台宗神木山等覺院副住職の中島光信氏と、人間の加齢を総合的に研究する「ジェロントロジー研究協議会」のメンバーでもあり、大正大学社会共生学部専任講師で浄土宗の僧侶でもある髙瀨顕功氏、日本ユニシスの石原英里が超長寿社会における「生と死」の在り方を語り合った。(以下、敬称略)

「自分の死にざま」を
自己決定したい人たち

石原 まず、最初にお二人のプロフィールについて、仏門に入られた経緯などを含めてお伺いできればと思います。

中島 ここ神木山等覺院は、「つつじ寺」とも呼ばれる天台宗のお寺です。仁王門(1882年建立)をくぐり参道を登ると、正面に安政年間(1854~60年)に建てられた本堂が建っています。一般的なお寺のように檀家制度は敷かず、参拝にいらっしゃる信者さんたちによって維持されている点に特徴があります。祖父も父もこの寺の住職を務めてきましたが、私は大学時代までは芸術方面に進みたいと思っていました。歴史ある寺に生まれ、「伝統の一翼としてこの寺を維持して後世に守り残していかなければいけない」という思いを感じながらも、一方で「ここではないどこか」に行きたいとの希求があったからなのかもしれません。そんな折、20歳の頃、親しい人の家族が亡くなり、私もその葬儀に参列しました。そのときのお坊さんの態度がぞんざいに見えて、内心憤慨したのを覚えています。それが1つのきっかけになり、「人の気持ちに寄り添いたい」と仏教の道へと進路を変えました。

大正大学
社会共生学部 専任講師
髙瀨顕功氏

髙瀨 同じく、私の祖父も父も僧侶です。2人とも教員をしながら浄土宗のお寺を守ってきました。その僧侶としての在り方や姿勢を身近に感じていましたが「僧侶になりなさい」と言われることもなく、自分も特に僧侶になりたいと意識していませんでした。ただ、絶対なりたくないというわけでもなく、「いずれ父や祖父と同じ道を歩むのだろう」というぐらいに思っていました。一般の大学に進学し、教員免許を取得しましたが、卒業後、僧侶になるために大正大学大学院へ進学しました。大学院では仏教学ではなく宗教学を学びました。仏教には大きな可能性を感じつつも、一歩広い視野から仏教を見つめたいと思ったからです。今は実家である浄土宗法源寺の副住職とともに、大学教員をしながら地域社会におけるお寺や宗教の役割などについて研究をしています。

石原 ありがとうございます。今回の本筋にもなるのですが、「ジェロントロジー」という言葉があります。これは超長寿時代の社会や人々の暮らしについて経済学や社会学、テクノロジーなど多様な角度から考えようというアプローチです。ジェロントロジー連載の第2回は、「身体の機能的な衰えはテクノロジーにより支援できるけれども、意識改革など内面に兆す『心の在り方』は課題として残っていく」というお話で終了しました。超長寿社会においてどのような意識を持って生きていくのか、前回から時間を経た今もこれといった考えが浮かびません。考えるうえでヒントになるものが聞けたらという期待を持ちつつ、お二人のお話を伺いたいと思います。早速ですが、ジェロントロジー研究協議会における「宗教・こころの分科会」で、「人生に向き合うこと」に取り組まれている髙瀬さんにお聞きします。宗教・こころの分科会では、「終活」などにも触れていますが、超長寿命化する中で日本人の死に対する向き合い方は変化しつつあるのでしょうか。

髙瀨 自分の死について、「自己決定しなければいけない」と考える人が増えたように感じます。昔は多くの場合、本人がそんなことを考えずとも、穏やかに最期を迎える方も多かったと思います。では、今の時代、なぜ自己決定が望ましいと思うのでしょうか。「自分のことに責任を持つ」と言えば聞こえはいいのですが、「長く生きるのであればその幕引きをきちんとしてもらいたい」「こちらに迷惑を掛けないでほしい」という周囲からの“無言の圧力”があるのかもしれません。

石原 昔は多数世代が同居する大家族が多かったけれど、今は単身世帯が増えている点なども背景にあるのかもしれませんね。では、中島さん、等覺院に参拝にいらっしゃる方はいかがですか。

中島 お寺を訪れる方の姿を見ていても、一昔前は「こういうときは、こうするものだ」といったコミュニティーに根差した社会的規範のようなものがあったように感じます。だから、無理に自己決定をする必要もなかった。それを不自由と感じる人もいますが、一方で自己決定に伴うストレスを減らすことができます。しかし、現在はいわゆる核家族化や地縁の消失、価値の多様化などとも相まって、そうした規範が薄れているのではないかなと思います。

何をしたいのか、
何を大事にしたいのか

石原 連載の第1回では、トラベルヘルパーがテーマでした。それは、「『旅に行きたい』というモチベーションがある方を、トラベルヘルパーがお手伝いする」というお話です。「何かに挑戦したい」という気持ちのある人とそうではない人では、生き方にも違いが出ると思うのですが、思いを持つきっかけやそれに至るために必要なものは何なのでしょうか。

髙瀨 人間は、自分の内側に行動基準となる規範や価値のようなものがあれば、その基準に従って主体的に行動することができます。しかし、そうしたことを考える機会や時間が、学校教育の場でも社会人になってからも少ないのかもしれません。この点は、連載の第2回で議論されていましたね。自分が何をしたいのか、何を大事にして生きたいのか――。ほとんどの人は、その問いに直面しないまま年齢を重ねているのではないでしょうか。

天台宗
神木山等覺院 副住職
中島光信氏

中島 それにもかかわらず、人生の大事な局面になって「自分で決めろ」と言われても困りますね。最期の迎え方だけでなく、「何をやってもいい」となると、途方に暮れてしまう人も多いはずです。そこで、何とか周囲の期待にも応えようと「終活」を急ぐのかもしれません。

石原 なるほど。最終局面だけでなく、「生き方そのもの」が問われているのかもしれません。私たちは自由な社会に暮らし、人生の選択肢も多様なはずです。とはいえ、進学するときには自分の偏差値で届く範囲の学校を選び、就職できそうな会社の面接を受ける、といった道を進んできたとしたら、限られた選択肢の中で「失敗しない選択」をする人が多いのではと思います。連載の第2回で学生の就活の話題が上がりましたが、若い世代もその傾向にあるのかもしれません。ところが、社会に出た後は偏差値などに応じた選択肢は示されなくなり、自分で決めなければいけない場面が増えます。その中で、「どうすればいいか分からない」「失敗を恐れて物事を決められない」。そして、失敗を受け入れられず落ち込んでしまう――。さらに寿命がどんどん長くなっていく中で、分からないことや決められないことが増え、もしくは、増えることを想像して途方に暮れてしまう。その結果として、生きることを「リスク」と考えてしまうのではないでしょうか。自分の中核となる判断基準などがあれば違うのでしょうが、自分の中に新しくそれらを確立することや、すでにある判断基準を見直すことは容易ではありません。中島さんが発信されていた旅の記事を拝見し、「さまざまなものに触れて自分の価値観を積極的に壊している」との経験談を新鮮に感じました。これまでの旅の中で得たものなどがあれば教えていただけないでしょうか。

中島 難しい質問ですね。私自身は、心の赴くまま、世界一周旅行やインドでの自転車旅行、仏教四大聖地への巡拝なども経験しました。もちろん、「帰国してもこの寺に籍は置けないかもしれない、破門かもしれない」という思いが一方にはありました。しかし、こうした経験の中で喜怒哀楽がコロコロ移り変わり、普段の生活では光を当てていなかったドロドロした気持ちにも直面しました。そんな泥の中からフッと蓮のように花開いたアイデアは、「坊さんはもっと自由な存在になっていいのではないか」ということでした。「西行(※1)法師」や、各地を遊行した僧侶のイメージでしょうか。「聖(ひじり)」(※2)の存在に近いのかもしれません。その意味で、私は「自分はこうありたい」というよりも、どちらかというと「社会に自分を活かせるにはどうすべきか」と考えるタイプです。その意味では、判断基準は自分の外側にあると考えています。

(※1)西行とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の僧侶であり、歌人でもある。

(※2)聖(ひじり)とは、日本において諸国を回遊した僧侶をいう。

髙瀨 「自分はこうありたい」と思っても、目標の種類や程度にもよりますが、多くの人はそれを達成できずに人生を終えるかもしれません。「達成できない自分」を肯定するのが、浄土宗の発想です。それは、「努力しなくてよい」ということではなく、「頑張ってできなくても悲観する必要はない」と捉えていくことです。詩人・相田みつをさんの「にんげんだもの」に通じる温かなまなざしが、その根底にあります。私自身は、そうしたこともあって最大限に努力をしつつも、「うまくいかないときもある」と考える傾向が強いと思います。

“自分の手に負えないこと”に
向き合う機会

日本ユニシス株式会社
総合技術研究所 生命科学室長
石原英里

石原 第2回でも触れましたが、私自身は北海道の出身で、育った地域の主要産業は農業や酪農、漁業でした。だから天候に左右されることが多い。大雪や大雨で作物がやられたといった話もよく見聞きしました。「失敗」が日常茶飯事の世界です。その後、東京に来てから「ここでは失敗が許されない」と感じるようになりました。天気が大荒れになって電車が遅れても、運休しても、たいていのビジネスパーソンは何とかして出勤しようとします。最近はテレワークを認める会社も増え始めましたが、少し前までは、大半の会社が「何があっても出勤せよ」という姿勢でした。自然相手の仕事では、「しょうがない」と程よく諦めて、うまく気持ちを切り替えて前に進まなければ生きていけません。しかし、都会で会社勤めをしていると、たとえその原因が自然相手であったとしても「ダメな自分を許せなくなる」のかなと感じます。閉塞感や生きづらさのようなものを、多くの人々が感じているとすれば、こうした雰囲気も関係しているように思います。

中島 石原さんのよく知る北海道の人たちは、髙瀨さんと同じカテゴリーですね。そういう、しなやかな構えがあれば、失敗してもどん底にまで落ち込んだりしない。「オレはもうダメだ」ではなく、「よし、次にいこう」と思える。だから強い。私は、たぶん逆で、気持ちを切り替えられずにどんどん落ち込んでいくタイプです。

髙瀨 いやいや、私の場合は「ダメな自分」を守るための、いわば防衛本能かもしれません(笑)。

石原 防衛本能は大切ですよ。落ち込みから復活できないままメンタルダウンしてしまう人もいます。復活するために周りの支援も大切だと思いますが、落ち込む出来事との向き合い方や、復活につながる何かが自分の中にあるとまた違うのかもしれません。

髙瀨 私自身は、大学だけでなく、中学校でも教鞭をとっていたり、僧侶による生活困窮者支援団体「ひとさじの会」の代表をしていたり、もちろん僧侶としても法要を行ったりしますので、老若男女、さまざまな人に会う機会があります。その中で、現代においては、「自分の手に負えないこと」「コントロールできないこと」に向き合う機会が減っている、ともすると、「あえて見ない」ふりをしているようにも感じます。

中島 「人の死」はその最たるものでしょう。数十年前まで、身内の最期を家の中でみとることは日常の風景でした。手に負えないことを経験して嘆き悲しんだり、諦めたりしながら人はコントロールできることの方が少ないと悟ります。ですが、今ではその大きな経験となる人の死が日常から遠ざけられ、多くの人は無意識にその環境を快適に感じていると思います。

石原 確かに。人間の死や気まぐれな自然と比べれば、高校生にとっての受験や社会人にとっての日常業務は予測可能性が高く、一定の精度で成功確率を読むことができます。常に確率の高いターゲットを選んで失敗を回避しながら、「自分は自分の人生をコントロールしている」と満足することもできるかもしれません。

中島 その延長として、自分の死にざまをコントロールしたいと願うのでしょうか。

髙瀨 そうかもしれませんね。実際には、自分だけで決められないことも多いと思いますが、できる限りの範囲で自己決定したい。そんな強い意志を感じる方は多いですね。周囲に委ねるとか、成り行きに任せてもいいと思えば、もう少しゆったりとした気持ちで最期を迎えられ、より良く生きることにもつながるのではないでしょうか。

ジェロントロジー研究協議会について

幸福で豊かな日本社会のあり方を再構築するためのアプローチとして一般財団法人日本総合研究所会長/多摩大学学長の寺島実郎氏が提唱する「ジェロントロジー」という視座から、高齢者のみならず若者を含む全世代の視界から体系的研究を行い、その成果を制度設計等に反映することを通じて、サステイナブルな「新たな社会システム」の構築を行うことを目的に、「ジェロントロジー研究協議会(会長:寺島実郎氏)」が2019年1月に設立されました。

日本ユニシスは、研究全体の支援、制度設計(資格認定制度含む)の検討等を実施する同協議会に、代表取締役社長の平岡昭良がコアメンバーとして参加し、また高齢者に関わる各分野における、高齢者向け参画のプラットフォームの検討等を実施する「ジェロントロジーに係る体系的研究会」(座長:寺島実郎氏)に、総合技術研究所生命科学室長の石原が参加しています。

*なお、本記事はジェロントロジー研究協議会の議論とは関係なく、超長寿社会の将来像を語り合ったものです。

>> 後編に続く

Profile

髙瀨 顕功(たかせ・あきのり)
大正大学 社会共生学部専任講師
1982年生まれ。立命館大学文学部卒業。大正大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。ペンシルベニア大学客員研究員、上智大学グリーフケア研究所研究員を経て現職。浄土宗法源寺副住職。その他、東洋大学文学部非常勤講師なども務める。
中島 光信(なかじま・こうしん)
天台宗神木山等覺院 副住職
10代の頃、平和活動家として活動していた禅僧「ティク・ナット・ハン」氏を知り、氏の「行動する仏教」の姿勢などに影響を受け2007年に比叡山にて修行。また市民活動の中でワークショップ、ファシリテーションに触れ、そこに古来より寺・僧侶が担ってきた役割と共通するものを覚える。2008年より『仏教×ワークショップ』や震災ボランティアにお寺を開放する「こころのお堂」、世界三大宗教を対比するイベントなどを開催し、ファシリテーターとしても活動。また、世界一周旅行に加え、インドを自転車で旅し仏教四大聖地を巡拝するなどアクティブかつ多彩に活動している。
石原 英里(いしはら・えり)
日本ユニシス株式会社 総合技術研究所生命科学室長
2007年、日本ユニシスに入社。病院向け情報システムや地域医療連携システムの提案・開発に従事した後、医療・ヘルスケア分野を中心とした新たな社会基盤の構築に取り組む。2016年に総合技術研究所に異動、生命科学室長に就任。

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