a storyteller ~情熱の原点~ 第1回 京都大学経営管理大学院 山内裕教授

情熱は「人々が語り得ないものを見つけ表現する」ことへの好奇心。

画像:TOP画像

さまざまな分野で意欲的に挑戦を続けるイノベーターたち。革新を起こし時代をリードする彼らを突き動かす、その原動力や原体験とは一体何なのだろうか――。その核心に迫る新企画「a storyteller~情熱の原点~」。第1回では、『京都クリエイティブ・アッサンブラージュ』を立ち上げ、価値創造人材育成プログラムを提供する、京都大学経営管理大学院の山内裕先生に話を聞く。「人々が語り得ないものを見つけて表現し、人々に見せる。それが私の仕事のやり方で、それしかできない」という山内先生。常に社会で起こる事象の一つひとつを注視し、その背景にあるものを読み解き続ける。そんな、誰もが「大変そう」と思うことほど好んで取り組みたくなると語る、山内先生の情熱の原点とは。私たちがイノベーションを起こすヒントとなり得る「アート思考」のエッセンスとともに話を聞いた。なぜ今、ビジネスにアートが必要なのか、それはどう取り入れるべきなのか。先生の原動力とも密接に関連するこの思考法を起点に、そのストーリーのページをめくってみよう。

ヘッドライン

消費者を満足させるだけではイノベーションは起こせない

――まずは山内先生の研究分野について、教えてください。

山内私の専門は経営学で、企業の組織論の領域になります。2010年に京都大学に着任した当時、最先端のキーワードは「サービス」でした。日本をはじめとする主要先進国の産業構造が変化し第三次産業が主軸となる中、サービス分野での生産性向上が喫緊の課題となっていたためです。日本政府も2006年に「経済成長戦略大綱」の中で、サービス産業の革新を通じた生産性向上や、重点サービス市場拡大による経済成長の姿を明示しました。それを受け、2010年には京都大学経営管理大学院に「サービス価値創造プログラム」も開設されています。

私は京都大学に着任する前からシリコンバレーでアメリカのサービスを研究していたので、着任後は日本のサービスの研究を始めました。どんなテーマなら論文を読んでもらえるだろうか、と考え注目したのが、世界的に評価の高い「日本料理」。その中でも、「鮨屋」のサービス研究に取り組みました。カウンター主体の営業方法でサービスの全容が見えやすく、その上、「SUSHI」は世界中で人気を集めているからです。

写真:山内裕氏
京都大学経営管理大学院 教授
山内裕氏

通常、飲食店はお客に満足してもらうためのサービスを提供します。しかし、鮨屋の店主は、客に愛想が悪かったり、お客が「おいしい」と言ってもにこりともしなかったり、明らかに他の日本のサービスと同じような形で満足させようとは思っていない。それが面白いと感じました。当時から今まで、この鮨屋独特のサービス形態は“当たり前”のように捉えられがちですが、この特殊性を研究し解き明かすことで言葉にして伝えられたら面白いだろう、という好奇心が芽生えたのです。

この研究では東京にある鮨屋にビデオカメラ5台、ボイスレコーダーを10台ほど並べました。それらの機器で、お客が来店し、注文して帰るまでの店主とのやりとりを全部記録し、分析しました。4軒で調査をして、膨大なデータが集まりました。それらを検証した結果、面白いことが分かったのです。鮨屋に通う人々は、不愛想な親方に対して最初は戸惑ってしまう。しかし、通い続けることで暗黙のルールを理解し鮨屋での時間を楽しめるようになる。鮨屋のお客は試されるのですが、なんとかそつなく振る舞うなど、「自己表現」の獲得に満足感を得ていたのです。

ちなみに私は相当な「記録魔」。“商売道具”であるカメラやボイスレコーダーは常に持ち歩いています。プライベートで食事に行っても、店員さんのサービスやメニューが研究対象として気になってしまい、完全には楽しめない、ということもあります(笑)。

――着任からずっと、日本のサービスを研究されていたのですね。

研究を進めながら、2012年にはデザインスクールを立ち上げました。その当時「サービスデザイン」という領域が盛り上がっていましたので、サービスデザインについて考え始めました。サービスデザインにおける本来の趣旨は、消費者にとって楽しく快適な体験を提供すること。その理論からすると、鮨屋のサービスは真逆で説明が難しいのです。

このような議論を踏まえて、2021年に「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」というプログラムを立ち上げました(文科省の大学等における価値創造人材育成拠点の形成事業に採択)。そのときのお題が「デザイン思考の次」。そこで登場したキーワードが「アート思考」でした。デザイン思考は、2003年ごろから始まり、同年代の後半に流行した考え方です。ところが、今は世界的にもデザイン思考によるアプローチは再考され始めています。それ自体は悪いものではないのですが、限界が見えてきたためです。

これに対し、アート思考はアーティストが作品を生み出す際のプロセスや考え方を取り入れる思考法。デザイン思考を超える概念として注目を集めています。この思考法は鮨屋の話ともつながります。消費者の視点に立ち、その体験価値を向上することがデザイン思考のアプロ―チでしたが、単に消費者のニーズを満たしても、その先を描くようなイノベーションは起こせません。満足して終わるだけだからです。社会に応答して新しい時代の表現を生み出し、人々に自己表現をする手がかりを獲得させることが必要です。つまり、人々のニーズを満たし、「楽しい」「快適」と感じる状態で表現を閉じ込めるのではなく、“新しい世界”に連れ出すことが、新たな価値を生むのです。そこはドキドキするし、怖い体験もする。鮨屋の話で言えば、親方に試され、一見、作法も注文方法も分からない中で、緊張しながらも鮨を味わい、新しい自己を獲得する。親方や他の客などのコミュニティーに承認してもらうことで、新しい自己を感じることができる。こうした体験が新たな価値を生み出していくきっかけにつながるのです。これは鮨屋だけではありません。それとは真逆だと思われるようなこと、例えばマクドナルドも同じような構造である(※)ことが説明できます。

※ マクドナルドと顧客の自己表現…1960年、ジョン・F・ケネディが大統領選で当選し、公民権運動を経て一気に新時代が訪れていた。しかし、人種差別や女性蔑視の意識は強く残されたままで、60年代のアメリカのティーンエイジャーたちはこうした風潮や、古い文化が残る食文化に反発心を抱いていた。そうした背景の中で登場したマクドナルドは新たな世界観を提示した。彼女たちにとって「古い世界から新しい世界へ連れ出してくれる」存在となり、マクドナルドは大成功を収めた。

社会をよく見て、トレンドを“通り過ぎない”。一つひとつ「なぜ?」を考える

――「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」のプログラムの内容について、具体的に教えていただけますか。

山内政府が掲げた成長戦略の中では、価値創造人材を育てなければ日本は発展しない点に触れられていました。ただ、現在の多くの日本企業では、上司が「すごいアイデアを考えろ」と指示を出す、といった具合に、創造性が“義務”になっています。そんな中では、真にイノベーションを起こせるアイデアは生まれず、出るのは奇抜な意見だけ。奇抜なアイデアではイノベーションは起こせません。

こうした観点から、「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」では、「創造性」とは、個人の内面から湧き上がるものではなく、社会をよく見ることである、と提唱しています。例えば、美術大学で花の絵を描くとき、講師は「描く」技術以前に、「目の前の花をよく見なさい」と指導します。「よく見る」ことがそれだけ大事であり、難しく、またそれが創造性の種になるのです。面白いアイデアを思いつきなさい、とは言いません。

ここで1つ事例を紹介しましょう。京都クリエイティブ・アッサンブラージュにも参加いただいているクリエイティブディレクターの佐藤可士和さんのお話です。彼が携わる形で、ユニクロは2006年にロゴを含め店舗やコミュニケーションのデザインを刷新しました。それまでの丸い英字のロゴから、カタカナのシャープなロゴになったのです。

当時は、ユニクロがニューヨークに展開するタイミングで、市内の地下鉄にはカタカナのロゴがズラっと並びました。可士和さんは、ロゴの反復で大量生産を表現したのです。通常は、少量で高品質なものが良しとされ、大量生産は隠すべきものですが、潔く大量生産の方がカッコいい、と表現しました。アメリカの方々には理解できないカタカナのロゴを用いたのにも意味があります。これは2000年を超えて現れ始める新しい文化の表現です。当時、一昔前の文化を正当に深く理解することがよいとされた価値観に信憑性がなくなり、文化を記号として軽く扱えることがクールだという感覚が生まれてきました。2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』では日本語のセリフに字幕をつけなかったのですが、そのような軽い文化表現です。

それ以前はベーシックなデザインのユニクロはダサいとされていました。ユニクロであることがバレるのが嫌だということで、「ユニバレ」という言葉があったぐらいです。しかし当時は、全身ハイブランドで固めるような意識の高い人々はカッコ悪い、むしろベーシックな自然体がいい、という感覚が生まれ始めていました。99%の人が大量生産品をカッコ悪いと思っていたけれど、1%は「クールだ」と感じている。可士和さんはその「1%」をよく見ていたのでしょう。可士和さんのデザインは、カッコいいロゴを作ったことではなく、時代の変化を見てユニクロを最先端でクールなものに位置付けたことがポイントなのです。

写真:山内裕氏

――「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」では、「社会の見方」を教えているということでしょうか。

山内そうです。われわれは社会をよく見るための方法論を作りました。その1つが、イデオロギーを理解するための「イデオロギーの星座」です。例えば、「丁寧な暮らし」をテーマにしたYouTubeがはやっている。それらのうち1つを見ても、その理由は分からない。しかし、類似の動画を複数見ていくと、「ずぼら主婦」「ミニマリスト」などの関連性が浮かび上がる。個別には、取るに足らないように思えるものが、関連性に注目して考えていくと社会での位置付けが見えてくる。それを精緻にやっていくと、社会のありようが見えてきます。

――そうして社会をよく見ることができれば、新商品や新サービスを生み出すことができるのでしょうか。

山内今、企業は「ゼロから1を生み出すこと」にこだわり過ぎていると感じます。しかし、実のところ、歴史上のイノベーションにゼロから生み出されたものはありません。例えば、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関の技術は、冷却するコンデンサー部分を外に出したもの。これは、ちょっとした改良なのです。

ですから、企業は社員に「新規事業を考えましょう」ではなく、「社会をよく見なさい」と指導するべきなのです。強い企業は、組織の中で社会を読み解き、議論を起こす状態を作り出しています。何か取るに足りないものが出現しても、それをやりすごすのではなく、きちんと星座の中に位置付けて社会を読み取れることが重要です。そうすることで、99%の人が見えていないものを見られる可能性が高くなるのです。

――社会をよく見るための訓練方法はありますか。

山内世の中で起きているトレンドや現象の一つひとつを、見ただけで通り過ぎないことです。例えば、有名な料理研究家のYouTuberが紹介する「虚無レシピ」がなぜバズを起こすのか。なぜ、ずぼら主婦は自分のことを「ずぼら」と言うのか。あるいは、なぜ今、M-1グランプリで毒舌漫才が優勝できたのか。これらの「点」をつないでいくと、時代の潮目の変化を見いだせるのではないでしょうか。

この訓練をするため、私の授業では学生たちに漫画の読み解きもやってもらいます。なぜ今『ブルーロック』(※)がはやっているのか、といった具合に世の中のトレンドの背景を一つひとつ考え、読み解くことで、社会の流れが見えてきます。

※ ブルーロック…週刊少年マガジン(講談社)にて2018年より連載中の、高校サッカーを主題とした漫画で、アニメ化もされている。サッカー世界大会で日本チームが優勝するために集められた300名の高校生が、日本代表選出の権利をかけて競い合うストーリー。絆やチームワークではなく、個人の圧倒的な個性やエゴを求める内容が特徴。

――アート思考をビジネスに取り入れる意義についてはどのようにお考えですか。

山内アート思考に取り組もうとする企業は時として、美術品を職場に飾ろう、芸術の教養を持とうと考えてしまいがちですが、これではアートを尊重しているようで馬鹿にしているに等しいと思います。アートを「素晴らしい」と称賛しているうちは、その「外」にいるからです。アートとは、アート自身を破壊してきた歴史でもありますので、アーティスト自身が芸術を素晴らしいと神秘化することはありません。こうした点を見直し、本気で向き合えば、アート思考に取り組むことはとても意義のあることです。アートとは、社会をよく見て表現することだからです。

アートや文化という言葉で議論するとき、充実した意味とか、美しい生活とか、癒される精神などがイメージされていますが、アートの実践はそのようなきれいな言葉に収めることはできません。それぞれの時代には「意味のシステム」が出来上がっています。そして、その外にあるもの、つまり時代からは無意味とみなされているもの――われわれは「敗者」と呼んでいますが、その敗者を救済するときに革命が起こります。アートは敗者を救済しようとしているのです。真のイノベーションとは、時代からはみ出して、無意味で捉えきれないものに注意を払い表現すること。それが次の時代の表現となるのです。

例えば、スターバックスコーヒーはなぜ成功したのか。スターバックスの原型として、1966年にアルフレッド・ピート氏が始めたスペシャルティコーヒーは、資本主義、大量生産を否定し、自然に帰ろうとした当時のカウンターカルチャーを体現しました。そして1987年にハワード・シュルツ氏がスターバックスを劇的に変化させます。カフェラテやフラペチーノの導入です。スペシャルティコーヒーの信奉者である多くのコーヒーファンにとって、ミルクをたっぷり入れるカフェラテは邪道でした。甘くて冷たく、ホイップクリームが乗っているフラペチーノは、さらにあり得ない飲み物でした。まさに、無意味な敗者として意味のシステムの外にあったものです。

元はカウンターカルチャーというリベラルな文化であったのですが、濃いコーヒーを少しずつ飲む趣味は、80年代にはマッチョで重苦しいブルジョワ的なものになっていました。80年代には、芸術やアートの世界では、重厚なものを良しとする風潮から「軽いものがカッコいい」時代に変わりつつあった。1987年というと『ウォールストリート』という映画が時代を決定づけましたが、まさにそれと重なる動きです。当時サードプレイスを提供したカフェはいっぱいあったのですが、このような時代の表現をうまく捉えたのは、シュルツ氏のスターバックスだけでした。通常はアートが批判の対象とするようなスターバックスを持ち出したことに驚かれるかもしれません。しかし、これらの事象を、単に企業が消費者を誘惑し利益を上げた事例として片づけるのではなく、その背景にある時代の表現を理解する必要があるはずです。

このように、社会をよく見て表現する、意味のシステムの外にあるものを捉える、という本当の意味でのアート思考を企業が取り入れることは、イノベーションを生む可能性を秘めています。アート思考の導入を意義あるものにするには、この思考そのものをきちんと捉えることも大切になるでしょう。

大変そう、だから取り組みたい。人々が語り得ないものを見つけ表現する

――BIPROGYは2022年に日本ユニシスから社名を変え、まさに変革を遂げようとしています。BIPROGYがイノベーションを起こすために必要なものは何だと思われますか。

山内BIPROGYさんは今、クライアントのニーズを満たすことから企業の「表現」へと活動をシフトしていかれているのだと思います。それこそが重要なことです。これからはシステムの機能やコストといった話だけでなく、世界観を提案していくことが求められるのではないでしょうか。そのように時代をよく見て世界観を表現していけば、セキュリティーソフトやシステムにユーザーが熱狂する時代がくるかもしれません。その可能性は十分にあると私は思います。

ただ、そのときに気を付けたいことがあります。イノベーションというとバラ色の世界を描いて表現しようとする方が多いのですが、それは違う、ということです。重要なのは、敗者の存在をまったく認識していない、社会における大多数の人々にそれを明示することなので、ある種トラウマ的な体験をさせなければならないのです。人々が熱狂するようなイノベーションは、このようなトラウマ的な体験があって初めて生まれるのです。

これは一朝一夕にできることではありません。あらゆるカルチャーや現象について、社内で議論が巻き起こる状態を作ることが大事です。トップや上司だけでなく、働く一人ひとりが時代をよく見て、日々議論を重ねてほしいと思います。特に今は、コロナ禍の3年を経て、日本全体で文化が変わろうとしているのを感じます。まさに時代の読みどころです。

――鮨屋の研究から始まり、「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」まで、精力的に活動されていますが、先生の情熱の原点は何でしょうか。

山内私は人々が語り得ないものを見つけて表現して、人々に見せていくことがとても重要だと考えています。だから、ずっと敗者を見つけて表現する作業をしてきました。それ以外の仕事のやり方はできないし、それが好きなのです。そうして研究に夢中になるうち、周りからは「変わっているね」などと言われることも増え、今や『京大変人講座』にも名前を連ねているのですが(笑)。

鮨屋の研究もそうですが、普通ならば大変だからやめておこうと考えるような課題に自分が取り組むことに、まったく抵抗がないんです。むしろ、みんなが大変だからやらないことを、好んでやりたいと考える。それが、もしかしたら情熱のように見えるのかもしれませんね。

Profile

山内裕(やまうち・ゆたか)
京都大学経営管理大学院教授
京都大学工学部情報工学科卒業、同情報学修士、UCLA Anderson SchoolにてPh.D. in Management(経営学博士)。Xerox Palo Alto Research Center研究員を経て、2010年に京都大学経営管理大学院に着任。人文社会学に基づく文化の経営学を研究。主な著書には、『「闘争」としてのサービス 顧客インタラクションの研究』(中央経済社)など。2021年度から文部科学省価値創造人材育成拠点形成事業として「京都クリエイティブ・アッサンブラージュ」を立ち上げる。

関連リンク