顎の形状を3次元データで可視化──大阪大学が開く医療の新たな扉

製造業で培ったUELのエンジニアリング技術とBIPROGYのAI学習モデルを医療に応用

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医療分野におけるデータ活用が進む中、人体の形状を示す3次元データは、これまで矯正歯科領域では十分に活用されてこなかった。大阪大学歯学部附属病院では、この3次元データを医療に活用する取り組みを進めている。研究開発のパートナーとなったのは、BIPROGYグループのUELだ。UELは、製造業向けに培ってきた3次元データ処理技術「POLYGONALmeister(ポリゴナルマイスター)」を医療分野に応用し、顎の形状を可視化する3次元計測データ特徴点推定プログラム「POLYGONALmeister Xephalo(ゼファロ)」を開発した。

3次元の人体を2次元で表現する限界

いま、3次元データが医療を変えつつある。こうした動きをリードする研究・教育機関の1つが大阪大学歯学部である。

「現在、さまざまなデータを用いて、客観的な医療の仕組みづくりを進めています。その一環として、顎の形状の3次元データによる可視化に取り組んでいます。歯や顎などの疾患に関わる歯科医は、疾患に関わる部位の形状に対して非常に敏感です。人体を構成する各部位の形状について、私たちはデータに基づく研究を先導する役割があると考えています」と語るのは、大阪大学歯学部附属病院 病院長で、同大学大学院歯学研究科 顎顔面口腔矯正学講座の教授を務める山城隆氏である。

写真:山城隆氏
大阪大学歯学部附属病院 病院長
大阪大学大学院歯学研究科 顎顔面口腔矯正学講座 教授
博士(歯学) 山城隆氏

例えば、顎変形症という疾患があり、治療としては変形した顎の骨を切る手術を行うケースがある。ただ、骨の変形の度合いを客観的に評価するのは難しい。

「これまでもレントゲンやCT(コンピュータ断層撮影)などの2次元データはありましたが、人体は3次元です。頭や顎の形状を2次元に落とし込むと、多くの情報が失われてしまいます。対象をそのまま3次元データとして取り込むことで、より多くの有用な情報や知見を得られるでしょう。これまで2次元では実現できなかった新たな医療の可能性が広がると考えています」と山城氏は語る。顎変形症だけでなく、歯科・口腔外科・矯正歯科のさまざまな種類の医療において3次元データの活用が進んでいる。

では、人体(ここでは、頭の骨。主に上顎・下顎)の3次元データを取得し、いかに可視化するか。このテーマに挑んだのが、大阪大学歯学部附属病院の谷川千尋講師であり、研究開発パートナーとして伴走するUELである。UELはCAD/CAMを中心とした各種ソリューションを提供する、BIPROGYのグループ企業だ。

「人体の3次元データを単に数値として並べるのであれば容易にできます。しかし、必要となる3次元座標のデータは膨大な量になり、医師が座標の数値から立体を想起して形状を判断し、偏差を読み解くのは現実的ではありません。どうすれば分かりやすい形で可視化できるだろうかと考えていたとき、UELの『POLYGONALmeister』の存在を知り、UELに相談を持ち掛けました」と谷川氏は振り返る。

写真:谷川千尋氏
大阪大学歯学部附属病院
講師 谷川千尋氏

POLYGONALmeisterはUELが開発したポリゴンデータ編集ソフトである。ポリゴンデータはメッシュデータの一種で、三角形を組み合わせて立体形状を表現する。POLYGONALmeisterは3次元ポリゴンデータの編集処理に強みを持ち、これまでは主に製造業の分野で活用されてきた。例えば、製品や部品の形状を3次元データとして読み込み、ユーザーは簡単に編集できる。さらに、自動でデータのクリーニングや、簡略化によるデータサイズの圧縮などが可能だ。

写真:POLYGONALmeisterの操作画面
3DスキャナやCT装置、3Dプリンターで扱うポリゴンデータを高速かつ高精度に編集・最適化できるプロフェッショナルツール「POLYGONALmeister」。ポリゴンデータ(STL)の修正・編集時の工数を大幅削減する

頭部の3次元データから特徴点をAIで自動抽出

製造業の分野では豊富な実績のあるPOLYGONALmeisterだが、医療分野での3次元データの取り扱いに関しては経験が限られている。UEL企画統括本部の川村大輔はこう語る。

「まず、谷川先生からサンプルデータを受け取りました。CTで撮影した画像を、ポリゴンデータに変換したものです。私たちの課題は、このデータから特徴点(ランドマーク)を自動推定できるかどうか。そのためには、特徴点を推定するためのAIが必要でした」

写真:川村大輔
UEL株式会社
企画統括本部 Techデザイン企画部 部長 川村大輔

ポリゴンデータとは三角形の集合によって立体形状を表現する3次元データの一種である。特徴点とは3次元データを計測する上で特徴となる点を指し、骨と骨の接続部や骨の先端などを指す。特徴点を3軸座標で特定することで、その人の顎の特徴を客観的に示す。上顎・下顎を中心に、頭部全体で、68カ所の特徴点を設定し、高精度で推定すれば、患者の顎の形状を可視化できるのである。

手作業で特徴点を把握することは可能だが、専門家でも個人差が生じやすく精度は必ずしも高いとはいえず、時間と手間がかかる。谷川氏がBIPROGYとUELに注目した理由として、POLYGONALmeisterでの実績に加えて、AI技術による自動化への期待もあったという。

「谷川先生にお話を伺う数年前、2017年に米国の研究者が論文を発表しました。入力した3次元点群をAIに読み込ませ、その物体が何であるかを推定する手法について書かれたものです。物体全体の形状を認識できるなら、その物体の中の特定の位置、つまり特徴点も推定できるはずだと考えました。この論文の情報があったので、顎の特徴点を推定するAIを開発できるのではないかと考えました」(川村)

AIによる2次元画像の認識が大きな注目を集めたのは2012年。深層学習を用いた画像認識技術により認識精度が格段に高まり、以降、世界中でAIへの投資が活発化した。その5年後、3次元データへの応用、つまり3次元画像認識への道筋が見え始めた。ただ、論文の手法をそのまま使えるわけではない。

「3次元点群データをAIに入力した後、今回のプロジェクトでは物体全体を推定するのではなく、68カ所の特徴点それぞれの座標を出力する必要があります。既存のAIモデルをそのまま適用することはできず、中邨とともに数種類のAIを試しながら、手探りで開発を進めました」とUEL技術統括本部の三村崇晃は言う。AIモジュールをPOLYGONALmeisterに組み込むプロセスは三村が担った。

写真:三村崇晃
UEL株式会社
技術統括本部 ソリューション開発2部 スペシャリスト 三村崇晃

特徴点を推定するための教師データづくりも容易ではなかった。教師データとは、AIに学習させるための正解例となるデータのことである。特徴点を推定するためのAI部分を担当したBIPROGY総合技術研究所の中邨博之はこう説明する。

「受け取ったポリゴンデータの中に、異常値が含まれていることがあります。歯にかぶせた金属などの影響を受けて、CT撮影の段階で異常値が出てしまうのです。異常値を含んだ教師データでAIを学習させると、AIの出力結果もゆがんだものになってしまうので、適切な教師データをつくるためにデータの整理を何度も行い、精度を上げていきました」

写真:中邨博之
BIPROGY株式会社
総合技術研究所 数理エンジニアリング室 主席研究員
博士(工学) 中邨(なかむら)博之

特徴点と標準値で病気の部位を特定

特徴点を推定すれば課題クリアかというと、それだけでは治療につながらない。欠かせないのが標準値だ。一定の範囲で標準的な形状を客観的に示すことが必要で、それと照らし合わせて「患者Aさんは標準の範囲から乖離している」と判定できる。例えば、下顎の特定部分が標準に対して大きい、あるいは小さいと分かれば、治療の方針が見えてくる。標準データづくりに当たったのは谷川氏である。

「レントゲンやCTなどは病気の患者さんだけが使うものなので、標準データを作るために顎の形状に明らかな異常が見られない健康な人のデータを収集するのは大変でした。とはいえ、約3000人のデータを収集し、その中から健康な人のデータ200人分を抽出し、標準値を定めるための元データとして活用できました。統計的に見て、正規分布グラフの中央付近の一定範囲を標準的な形状とし、統計的に外れ値となる範囲を病的な変形と定義しています」と谷川氏は話す。

特徴点を元に個人の上顎・下顎が可視化され、標準値との差異が明らかになれば、異常な部位が特定される。POLYGONALmeisterが磨いた編集機能を使えば、それを分かりやすく表示できる。こうして新たに生まれたプログラムは、「POLYGONALmeister Xephalo(ゼファロ)」と名付けられた。矯正歯科で広く用いられる頭部X線規格写真であるセファログラム(通称セファロ)に由来しており、その3次元版という位置付けである。

図:POLYGONALmeister Xephaloのツールバー
POLYGONALmeister Xephaloでは、「ランドマーク推定」コマンドが搭載されている
図:標準データとランドマークの推定点
緑の点が標準データで、青が下顎のランドマーク、赤が上顎のランドマークである
図:ランドマーク推定画面イメージ
POLYGONALmeister Xephaloのランドマーク推定画面イメージ

「これまでは専門的な知識がなければ特徴点を探すことができませんでした。しかし、このアプリケーションを使えば、専門知識なしでもボタン1つで患者さんの特徴点を一括してポリゴンデータ上に表示できます」と語るのは、UEL企画統括本部の田中修平である。田中はアプリケーションの表示などの部分を担当した。

写真:田中修平
UEL株式会社
企画統括本部 Techデザイン開発部 チーフ・スペシャリスト 田中修平

「患者さんを前に、私は手元のPCを操作して、ポリゴンデータを傾けたり回したりしながら説明します。顎などの骨の状態をポリゴンの3Dモデルで見れば、医師だけでなく、患者さんも一目で理解できます。カラーマップ表示もできるので、緑の部分は標準的、赤の部分は標準から大きく外れていると分かります。治療の後で赤が緑に変わっていれば、効果があったことが患者さんにも伝わります」と谷川氏は言う。

図:カラーマップ表示の実行結果
カラーマップ表示の実行結果

歯や顎などの疾患領域における3次元データの活用は始まったばかりだ。人体の形状を示す3次元データは、他の医療データと組み合わせることでより大きな価値を生む可能性があると山城氏は期待している。「今後は時系列でのデータ収集も視野に入ってくると思います。また、頬づえをつくなどの特定の生活習慣や噛む圧力、筋力などと、歯や顎などの疾患の関係が疑われるなら、予防的な対策が可能かもしれません。いずれにしても、一人ひとりのデータを蓄積することが今後ますます重要になります」(山城氏)

現在、POLYGONALmeister Xephaloは研究開発から実用化へと移行しつつある段階だ。UELは今後、大阪大学歯学部附属病院での実績を生かし、データ蓄積と検証を重ねながら、さまざまな医療機関への展開を目指している。加えて、非医療分野への適用も視野に入れている。例えば、複雑な形状の特徴点を自動抽出することで、製造業における部品の品質管理に生かせるかもしれない。3次元データによる可視化という新たな領域には、大きな可能性が広がっている。

写真:左から順に中邨博之、川村大輔、谷川千尋氏、田中修平、三村崇晃
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