歴史ある伝統産業をDXで成長産業へ 山中漆器が目指す「漆器のシリコンバレー」

サプライチェーン改革とブランディングで挑む“承継”と“創新”

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日本の数ある伝統産業が市場縮小や後継者不足という難局に面する中、石川県加賀市の伝統産業・山中漆器はデジタルを駆使することで躍進の兆しを見せている。産地をあげて取り組むのは、DXによるサプライチェーン改革。そして、産地の価値を高めるブランディングだ。DXが山中漆器にもたらすシナジーは、産地の人々の意識、そして消費者の購買意欲をも動かしている。経済産業省「地域DX促進活動支援事業」(No.13伝統工芸DXコンソーシアム)にも採択され、注目を集める山中漆器の取り組み。本稿では、山中漆器連合協同組合理事長の竹中俊介氏と、BIPROGYの臼木裕明に取り組みの経緯や今後の展望を伺った。

ヘッドライン

「山中漆器DX」でサプライチェーンを見える化

渓谷の豊かな自然に囲まれる山中温泉(石川県加賀市)。松尾芭蕉をはじめ多くの文人に愛されたというこの地に、約450年前から伝えられるのが山中漆器だ。県内の漆器産地として「塗りの輪島」「蒔絵の金沢」に並ぶ「木地(きじ)の山中」と称され、日本有数の漆器産地として知られる。木製の「伝統漆器」だけでなく、樹脂を用いた「近代漆器」の生産も盛んとあって生産量は全国屈指の産地の1つだ。しかし、食器の選択肢や購入場所も多様化する現代において、生産量はここ数年で減少傾向にある。

「地方創生」が社会的にも広く意識され始めた2018年、山中漆器の新たな一手を見出したのは地銀である北國銀行だった。山中漆器連合協同組合理事長(当時は専務理事)の竹中俊介氏はこう振り返る。

写真:竹中俊介氏
山中漆器連合協同組合
理事長 竹中俊介氏

「2016年頃に北國銀行と取引のある漆器屋を集めて、今抱えている課題を話し合う勉強会が開かれました。当初、『お金を貸してもらう以外に銀行にお願いすることはないだろう』と考えていましたが、勉強会を重ねるうちに産地全体に共通する課題が浮き彫りになりました。伝統漆器においては、木地、下地、塗装、蒔絵などの複数工程を経て完成しますが、これらは一人の職人がすべて行うのではなく、各工程の職人が手掛けています。そのため、漆器屋が商品発注をしてから作業進捗を知るためには、職人一人ひとりに電話やFAXで問い合わせる必要がありました。高齢でスマホも持っていない職人の方もいますから、なかなか回答をもらえないことは日常茶飯事。北國銀行から『それなら生産工程をクラウドシステムで管理しましょう』と提案がありました」

山中漆器の製造工程

画像:山中漆器の製造工程
伝統漆器は、まず輪切りにした天然木から「縦木取り」を行い、おおよその寸法を決める。ここから「木地挽き」と呼ばれる成形・乾燥過程を経て、木目に漆を染み込ませることで狂いを防ぐ・布張りによる補強を行う「下地」を行う。その後、精製漆を刷毛で全体に薄く塗布する「塗り」、仕上げとなる「蒔絵」を経て完成に至る。一方、近代漆器は、1950年代に生産がスタートした樹脂製の漆器。コンセプトを決め、樹脂成型、塗り、蒔絵の工程を経て完成する。アイテムの豊富さに加え、手入れの容易さなどもあり、生活漆器やギフト、インテリアなどで広く活用されている。
写真:山中漆器の製造工程
山中漆器を代表する木工芸家・川北良造氏(重要無形文化財「木工芸」保持者)の作品(写真上)。木目の美しさを生かすだけでなく、新しい表現に挑み続ける情熱が感じ取れる。取材では、山中漆器の製作工程のうち、木地挽き(写真左下)と塗り(写真右下)を撮影させてもらった。その真剣なまなざしから、一つひとつの作品にかける職人の心意気が伝わってくる。

北國銀行は山中漆器のサプライチェーン全体で変革を起こすことが、地方創生の第一歩になると考えた。そこで同行のメインシステムを担当するBIPROGY(当時日本ユニシス)からの協働提案もあり、山中漆器の産地支援に動き出すことになったという。

北國銀行のICTコンサルティングチームとBIPROGYのメンバーがチームとなって産地に直接出向き、受発注の手段や労働時間、作業待ちの商品の滞留状況のヒアリングを実施した。BIPROGYの臼木裕明は取り組み当初の思いを話す。

写真:臼木裕明
BIPROGY株式会社
ファイナンシャル第三事業部
ビジネス企画部 第一企画室 シニア・スペシャリスト
臼木裕明

「生産工程のクラウドシステム化以外にも私たちが力になれる点があると考え、漆器屋の方や職人さん達に現場の課題感なども伺いました。初めは『なぜ東京のIT企業の方がここへ?』と不思議に思われていたようですが、会話を重ね、何度も足を運ぶことで、現在の状況や背景を詳細に答えていただけるようになりました。『お客さまの課題を発見し、その解決に向けて挑戦していく』という、企業としての使命感に端を発しましたが、産地の方々と関係性を深めるうちに個人的にもプロジェクトに対する熱い思いが芽生えていきました」

ヒアリングを通じて、工程ごとに職人が変わるため作業進捗が分かりにくい点や、受発注業務のアナログな運用によって生まれるタイムロス、職人の高齢化や後継者不足などの課題が明らかになっていった。課題解決に向けて地域一体となって取り組みを進めるべく、まずは「一般社団法人山中漆器コンソーシアム」を起ち上げ、代表に竹中氏が就任した。DX推進の原資として総務省の補助金獲得にも成功し、工程管理クラウドシステムの導入など改革は一気に加速した。

「コンソーシアム起ち上げまでは、どのようなクラウドサービスが構築されるのか、使ってくれる人がどの程度いるのか、予想がつきませんでした。高齢の職人さんも多いですし、当時は『本当に必要なのか?』との意見もありました。そんな状況下でも、臼木さんは補助金を獲得できそうな国の施策を調べ、実現可能性を模索し、総務省でプレゼンする際にも全面的にサポートしてくださいました。『補助金を取ったからには絶対に実現しなくては!』と、産地の先頭に立つ私自身の覚悟も決まりました」(竹中氏)

システム運用にあたっては、13の漆器屋などに加え、職人約40人の運用という小規模な形でスタートしたが、工程の見える化や受発注業務の一元化、請求支払い業務の効率化が徐々に成果となって表れた。生産工程におけるサプライチェーン間の受発注業務や工程管理業務、請求支払業務などがアナログな手作業からシステム化された。懐疑的だった声は、「本業に注力できて生産性が上がる」「新しいことを考える時間に充てられる」などの声に変わったと竹中氏は話す。「まずはシステムに抵抗の少ない漆器屋や職人の方に運用を開始してもらいました。経理作業だけでも『それまでに比べて約50%近く作業工程が削減できた』という声もあり、目覚ましい効果が表れました。今では職人さんの方から、システムを導入していない漆器屋に導入を促す声も出ていると伺っています」と臼木は成果を語る。

ブランドづくりが産地の意識を変化させた

山中温泉は日本最大級の漆器産地だ。しかし、「同じ石川県の輪島に比べて全国的な知名度はいまひとつ。長年、漆器産地として山中が広く認知されていないことに危機感を覚えていた」と竹中氏。こう続ける。

「私が経営する株式会社竹中は2012年頃から海外市場との取引を意欲的に行っています。その頃から直面しているのは『良い商品でもブランドがなければ勝負にならない』という現実。このままでは世界各国の数あるメーカーが競争相手となり、商品だけを見比べられ、価格競争にも飲み込まれてしまう。山中という産地で、一つひとつ丁寧に作られている背景を『ブランド』として伝えなければ、山中漆器に成長はないと痛感しました。また、2015年頃には海外のYouTuberが山中漆器を紹介したことをきっかけに、カナダでの売り上げが倍になったことがありました。広告とは違うSNSの爆発力に驚くと同時に、将来を見据える上で伝統産業もDXを避けては通れないと感じた瞬間でした」

2019年、山中漆器連合協同組合の理事長に就任したことをきっかけに、竹中氏はブランドづくりに着手した。しかし、山中漆器は実に幅広い。人間国宝が手掛ける伝統漆器から、量販店などで販売される近代漆器まで種類はさまざまだ。

写真:近代漆器の製作工程の様子
近代漆器の製作工程の様子。アイテムごとの企画コンセプトやバリエーション展開に合わせ、樹脂製の素地に、人の手はもちろん、ロボットやプリンターを用いた塗装やプリントを行うこともできる。近年では、素材そのものの開発にも取り組み、地球環境に配慮した製品作りを進めている。

「産地としてブランディングをしようにも、山中漆器をひとくくりに表現することは難題だった」と竹中氏は話す。親交を深めていた臼木に胸中を話すと、山中漆器に携わる中で「ブランディングは不可欠」と考えていた臼木は、すぐさまブランドコンサルティング会社に協力を求めた。BIPROGYはブランド全体のコーディネート役として、引き続き山中漆器産地を支援することになった。

臼木は原資を獲得するため、地域活性化に向けて各種支援策を打ち出す各省庁をはじめ石川県、加賀市との調整役を担った。国が掲げる「地方創生」に山中漆器のブランドをどうアジャストさせるのか――。これにはBIPROGYが長野県熊本県合志市などで培った持続可能なまちづくりとイノベーションの実現を目指すための知見が大いに生かされた。こうして経済産業省の伝統的工芸品産業支援補助金などをベースに、山中漆器のブランド化に向けた5カ年計画が動き出した。

「まずはB to Bのみに集約していたビジネスモデルをB to Cに拡大することを目指し、『プロダクト』『サービス』『コミュニケーション』の3つを柱にブランドづくりを展開することを提案しました。まず、『プロダクト』として山中漆器という質の高い商品を作る。素晴らしい商品があってもお客さまが来なくては意味がありませんから、『サービス』としてWebサイトやオンラインストアを持つ。そして『コミュニケーション』としてターゲット層にSNSでアプローチを継続する。この3つの柱が絡み合うことで、成果が生まれると考えました」と臼木。

ブランドづくりは海外進出を視野にスタートしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、まずは国内に目を向けることに。伝統漆器と近代漆器それぞれの購買層を詳細に分析し、国内の消費者の中でも、これまでリーチできていなかった30~40代のミレニアル世代をターゲット層に設定した。2019年にビジュアルやユーザビリティを意識した山中漆器連合協同組合Webサイトを新たに立ち上げ、2020年には同組合のInstagramを、2021年にはオンラインストアを開設した。「これまでと大きく異なるのは、消費者との『接点』の作り方」と話し、臼木はこう続ける。

「百貨店や量販店で山中漆器を直接見て購入する中高年層の消費者とは異なり、ミレニアル世代の購買意欲はInstagramに依るケースが多い。組合のInstagramは、その世代の行動に響くように、キャッチコピーや紹介する文章の書き方、写真の撮り方まで、専門の方にコーチングをしていただきながら投稿をしています。来年以降は組合の中だけでInstagramを運用していけるよう、今は勉強会を開催してもらっている所です」

山中漆器オンラインストア

画像:山中漆器オンラインストアキャプチャ
山中漆器オンラインストア」の画面(一例)。山中漆器の持つ深い歴史や職人一人ひとりの思いを伝えつつ、魅力ある商品やイベント情報をタイムリーに発信している

竹中氏によれば、ここ数年で消費者が小売店を挟まずにメーカーから直接商品を購入する流通(D2C)への変化が起こり始めているという。Instagramやオンラインストアなど、時代の流れに即応する組合の施策を目の当たりにし、産地の中でも意識の変化が起こっていった。数年前まではブランディングに関心を持とうとしなかった人達も多かったが、「自分の店でブランディングをするには何から始める?」「SNSはどうする?」と積極的な姿勢が見られるようになり、ブランディングの重要性はいつしか共通認識に。産地内の変化を肌で感じながら、竹中氏はさらなる意欲をこう語る。

「ブランドづくりは今年で3年目。BIPROGYさんやブランドコンサルティング会社の助けを借りて、組合のWebサイトやオンラインストア、Instagramをようやく揃えることができました。さらに、バラエティに富む山中漆器を表現するロゴも完成しました。山登りに例えれば、万全の装備でこれから山に登ろうという段階です。今後は個社ごとではなく産地全体でエッジの効いた商品や山中漆器らしさを伝える“値引きしない商品”の開発も進めながら、デジタルマーケティングを実践することで結果を求めていきます」

山中漆器が描く「漆器のシリコンバレー」という未来図

山中漆器の攻勢は止まらない。リアルな商談が叶わなかったコロナ禍では、山中漆器のデジタル展示会という新たな試みにもチャレンジし、現在はリアルとオンラインの両方を活用するB to Bチャネルが確立している。臼木は「BIPROGY のコネクションでB to B の接点を増やしながら、B to Cにおいてもリアルとオンラインの両方でチャネルを切り拓きたい」と今後の抱負を語る。

「山中は温泉地でもあるので、山中漆器に温泉や観光を掛け合わせ、消費者とリアルな接点を新たに作っていきたいです。また、今年の9月にエムアイカードとのコラボレーション展開を、そして12月には組合WebサイトにVRコンテンツを搭載すべく動き出しています。『漆器はこんな風に普段使いができるんだ』と体感してもらえるよう、高精度VR(3Dインテリアデザイン・クラウドサービスCOOHOM)を使って、テーブルの上に漆器が並ぶ様子を目の前に映し出します。一軒家、タワマンといった住宅のスタイルが選択できる、あるいは、リビングの背景も変えられる仕様にするなど、ゲーム感覚で楽しめる仕掛けも併せて準備をしています。竹中さんとは『Webサイトに来てくれる消費者にワクワクしてもらえたら良いよね』と話しています」

伝統工芸×VRという目新しい取り組みにも意欲的な竹中氏。その理由をこう語る。

「伝統工芸は『承継』と『創新』。次の時代に向けて『承継』していくためには『創新』が不可欠です。私たちが代々受け継いできた伝統産業を、先行きが細々とした産業として後世に引き渡すわけにはいきません。そのために、リアルでもオンラインでも、組合が先頭に立って積極的に山中漆器の魅力を発信し続ける必要があります。産地の目標は、デジタル化とブランディングの相乗効果による年間売り上げ100億円の達成。安定的な利益が生まれれば、この地に根付く人が増えますし、外から山中漆器を学びたい人も来てくれて、文化がより豊かになる。山中が目指すのは、伝統漆器と近代漆器の知見が集積する『漆器のシリコンバレー』。次の世代のためにも、山中漆器という伝統産業を成長産業へと発展させたいのです」

日本最大級の漆器産地・山中。その未来図は「漆器のシリコンバレー」だ。竹中氏は「山中は山に囲まれているからまさしく“バレー”なんだよ」と冗談めかして笑うが、内なる思いは至って真剣。国内のみならず「世界の山中漆器」として認知される日が楽しみだ。

写真:山中漆器の制作の道具

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