小説『PULSE』 Chapter2ー白い部屋

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「この星で生き続けるために」——それは遠い未来の話ではなく、私たちが“今をどう生きるか”という問いでもあります。
地球環境や社会の持続可能性はもちろん、身近な誰かのいのちや暮らし、そして次の世代へ渡していく日々の選択も、その一部です。

私たちはこの深淵なテーマの一端にふれていただくために、物語を描きました。

これからお読みいただく短編小説『PULSE』は、2025年の大阪・関西万博を訪れた主人公がある体験をきっかけに55年前の万博と“つながる”物語です。
健康が「面倒な宿題」だった感覚が、世代を越えて受け取ってきた“想い”にふれることで、少しずつ意味を変えていきます。

読み終えたとき、もしあなたの中で何かが小さく動いたなら——それはきっと、あなた自身のPULSEです。

駅前のロータリーが見えてきた。こちらにぶんぶんと手を振る人影がある。

「はるかー! おはよー!」

亜紀は声が大きい。思わず苦笑しながら近づくと、じろっと私の顔をのぞき込んできた。

「ちゃんと寝た? クマ、隠れてへんな」

「うるさい」

「何時に寝た?」

「2時」

「アホやん」

何も言い返せない。

「バテないように、水分は取ります」

飲みかけのペットボトルを見せながら、言い訳する。

「よろしい。じゃあ行きますか、万博~!」

亜紀のテンションに引きずられるように、私の足も駅へ向かう。

改札を抜けて、混雑した電車に乗り込む。

車内には、同じ目的地らしい人たちがぎゅうぎゅうに詰まっていた。バッグにマスコットをぶら下げた子ども、会社のロゴ入りTシャツを着た団体、外国人観光客も多くいる。

窓の外で街が流れていく。

車内広告にも、ところどころ万博の広告が貼られている。

「なんか、ほんまに行くんやね~」

亜紀が窓の外を眺めながらつぶやく。

「20年ぶりくらいやんな、日本で万博やるの」

「そう言われると、ちょっとレア感あるかも」

「大阪でやったのって50年くらい前やっけ」

「あ~ね。おばあちゃんが行ったみたい。昨日写真見たわ。あの有名な塔の前で撮ってた」

「すごーい! 教科書に載ってるやつ、生で見たんやね!」

亜紀はうらやましそうな顔をした。

私の中では、「歴史の教科書」と「病弱で倒れがちなおばあちゃん」が、どうにもつながらない。

「でも、けっこう大変だったみたいよ。倒れやすかったらしいし」

「そっか……。でも、はるかは元気やんね」

そういえば今まで生きてきて、大きな病気や怪我をしたことがない。

でもそれって、そんなに特別なことなんだろうか。

会場に着くと、世界のボリュームが一段上がったみたいだった。

暑さと、音と、色と、人。

地図アプリの画面よりも、実物のほうがずっと賑やかでごちゃごちゃしている。

「わ、すご」

思わず口から出ると、亜紀が勝ち誇ったように言う。

「ほら、来てよかったやろ!」

ちょっと悔しい。亜紀にも母にも、私は何かと見透かされる。

入場ゲートを抜けると、巨大なオブジェ、インスタライブをしている人、列に並ぶ人たちのカラフルな日傘、あっちこっちから「映えそう」なものが目に飛び込んでくる。

万博へ向かう遥と亜紀

「はーい、撮りまーす」

亜紀が当然のようにスマホのインカメラを向ける。

人の流れの端っこによけて、二人で画面に顔を寄せる。

シャッター音。

すぐに写真を確認する亜紀の肩越しに、ちょっとだけ覗き込む。

画面には、汗で少しテカった自分の顔。

目の下のクマはメイクでごまかしたが、薄く残っている気がする。おでこのニキビが気になって、反射的に前髪を直す。

「かわいく撮れてるな」

「フィルターの力です」

「でもヘルスケアパビリオンでは、“寝不足注意”とか言われるかもな~」

「そんなことまでバレたら怖すぎるんだけど」

そんな会話をしながら、人の列に紛れて歩く。

案内表示に従って右へ折れると、「HEALTHCARE PAVILION」と書かれた看板が見えてきた。

外に伸びた列には、家族連れやカップルに混じって、制服の高校生もちらほら並んでいる。

「ここね。予約したの、この時間」

亜紀がスマホの画面を見せる。

アプリの画面には、入場時間とQRコード。ちゃんと時間ぴったりだ。

「じゃ、行きますか。“未来と会いに”」

「そのキャッチコピー、どっかで見た」

受付付近には、スタッフが何人も立っていて、列をさばいている。

ほどなくして、私たちの番が来た。

「QRコードをこちらに」

スマホをかざし、ピッという音が鳴る。

すぐ横の小さな機械から、細長い紙のリストバンドが、ぴゅっと吐き出された。

受け取ってみると、思ったよりしっかりした厚手の紙の手触りを感じる。

『手首に巻いてくださいね。こちら面を外側に』

スタッフの説明を聞きながら、左手首に巻きつける。

紙が肌にひんやり触れて、軽く締めると、そこに少しだけ心臓の鼓動を感じる。

「では、あちらのポッドにご案内しまーす」

スタッフに誘導されて、通路を進む。

奥のスペースには、天井の高い空間にいくつもの“カーテン付きの小部屋”が並んでいた。

「はるかは、7番ね。うちは8番」

亜紀が個室の番号を指さす。

「終わったら、ここ集合で」

「はーい」

カーテンをそっと押し分けて中に入ると、外のざわざわが一段弱くなった。

試着室みたいな、病院の検査室みたいな、機械的だけど無機質ではない、小さな、白の個室。

正面の壁には、縦長のスクリーン。

足元には、立つべき場所を示すマークが印刷されている。

「えっと……」

スクリーンに近づくと、自動で光が少し強くなった。

そこに、静かな文字が浮かび上がる。

髪・肌・目・脳・歯・骨・血管

所要時間 約6分

すぐにスクリーンの右上で細いゲージがすーっと動き始めた。

「始まったってこと……?」

誰も答えないが、目線の高さに小さなマークが現れた。

視線の誘導用らしく、それを見つめていると、額の前で弱い光が左右に往復する。

「髪」「肌」「目」──それぞれの項目が、簡易なアナウンスにしたがい進んでいく。

ただ白い光と、自分の呼吸だけがある感じだ。

紙のリストバンドが手首でカサリと鳴った。

──私は今、18歳で、健康で、ここに立っている。

それだけのことが、昨日の写真のせいか、今日はなぜか少し不思議に感じている。

「測定が終了しました」

優しい中性的な声が、スピーカーから流れる。

スクリーンの表示が切り替わる。

髪:A

肌:A

目:B

脳:A

歯:A

骨:A

血管:A

その下に、大きめの文字で一行。

カラダ測定年齢:18

まあ、そうですよね。

内心でツッコミを入れながら、結果を眺めていた。

でも測定年齢が実年齢と一致しているのだけは、ちょっと安心した。これで「60代相当です」とか出たら笑えない。

この結果を見せたら、母は「だからこそ今から気をつけなさい」と、きっとまた説教を始めるだろう。

──おばあちゃんが測ったら、どうだったんだろ。

ふとそう思う。

「身体が弱くて」とか「すぐ倒れてた」とか「奇跡だ」とか、言葉としては聞いてきたけど。

きっとCとかDが並んでたのかな、なんて考えて、また胸がチクリと痛くなる。

そんなこと、確かめようもないくせに。

「はるかー終わったー?」

亜紀の声がする。

うん——と、返そうとしたその瞬間。

「18」の表記にかすかなノイズが走り、画面の気配がひんやりと変わる。

次の瞬間、映っていた文字も数字も、全部すっと消え、スクリーンはただの黒い長方形と化した。

「え、フリーズした?」

思わず口に出す。

返事の代わりに、スクリーンの真ん中に、白い文字がじわりと浮かび上がった。

黒いスクリーンの真ん中に、あなたのルーツへアクセスしますと白い文字で表示されている

あなたのルーツへアクセスします

「は?」

ルーツって何。この字体、ちょっと怖いんだけど。

システムのエラー? それとも、これも演出のひとつ?

部屋全体が、白くなった。

天井も、床も、壁も、スクリーンも。

全部が光を持ち始めた。眩しい、というより、溶けていく感じ。色の境界が消えていく。

「ちょっと待っ──」

言葉になる前に、音が遠のいた。

亜紀の声も、会場の音楽も、外の喧騒も、すべてが遠くなって、やがて何も聞こえなくなった。

意識が、ゆっくりと、引いていく中、誰かの声がした。

──は…る……。

それが自分の名前なのか、それとも、誰か別の人の名前なのかを確かめる間もなく、私は、白い光の中に沈んでいった。

◼︎Chapter3―「55年前の夏」へ続く

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