100歳人生の生き方が問われる時代――今なぜジェロントロジーなのか?

寺島実郎氏が語る、異次元の高齢化社会を生きるための「知の再武装」とは

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昨今、わが国の少子高齢化がさまざまな場面で取り沙汰されているが、本当の意味でこの事の重大さを理解できているとは言い難い。われわれが直面しているのは、かつて経験したことのない「異次元の高齢化」なのだ。高齢者を非生産年齢人口としてではなく、社会を支える側に組み入れていく知恵の転換が求められている。

高齢者の社会参画を促すプラットフォームをつくる

人間の加齢と老化を多面的、総合的に研究する学問「ジェロントロジー(gerontology)」。その単語を英和辞典で調べてみると「老年学」「加齢学」と訳されている。比較的新しい学問分野であり、その本質はなかなかつかみづらいのが実情だ。

一般財団法人日本総合研究所 会長
多摩大学 学長
寺島実郎氏

一般財団法人日本総合研究所の会長であり、『ジェロントロジー宣言「知の再武装」で100歳人生を生き抜く』(NHK出版新書、2018年)の著者である寺島実郎氏は、「私はジェロントロジーを『高齢化社会工学』と訳すべきだと考えています。要するに、高齢者を生かしきる社会システムの制度設計を行うものです」と説く。

その意味するところを、さらにかみ砕いていきたい。

日本で進展する超高齢化は今さら言うまでもないだろう。だが、そこで議論されてきたのは、残念ながらネガティブな側面ばかりだった。年金、保険、医療、介護など社会コストの負担増に、われわれはどう対応していくのかといったものだ。

そもそも高齢者の捉え方からして大雑把すぎると言わざるを得ない。人口動態調査をはじめとする各種の統計でも、65歳以上の中高年層は「非生産年齢人口」というカテゴリーにひとくくりにされてしまっている。かつてはそれで問題がなかったのかもしれないが、今は「人生100年」といわれる時代だ。勤め先を60歳で定年退職した人にも、その後40年の人生がある。この「異次元の高齢化」に向けた、腰を据えた議論が急務となっている。

日本の人口が1億人を超したのは1966年。その後2008年にピークアウトし、2016年の段階で100万人以上の人口が減った。この勢いで人口がどんどん減少していき、2048年には1億人を割ると見られている。単純に昔の日本に戻るわけではない。1966年に1億人を超えたときは65歳以上の高齢者が総人口に占める割合はわずか7%に満たなかった。ところが1億人を割ると予想される2048年には約40%に達するといわれている。同じ1億人の中に占める65歳以上の割合がまるで違うのだ。これがすなわち「異次元の高齢化」である。

出典:2015年までは総務省「国勢調査」 2020年以降は国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」の出生中位・死亡中位仮定による推計

では、このパラダイムの変化に具体的にどう立ち向かうべきなのか。65歳以上の高齢者のうち少なくとも7割は健常者であるという事実を踏まえ、社会を支える側に組み入れていく知恵の転換を図ることが今後の日本には求められる。「日本の将来を議論するとき、労働コストを下げるために海外から労働力を入れようという方向に動きがちですが、最も重要なのは高齢者の社会参画を可能とするプラットフォームをつくること。この課題に真剣に取り組まないと日本社会のバイタリティを保つことができません」と寺島氏は強調する。

国道16号線沿いの団地で顕在化する高齢化の問題

異次元の高齢化を議論する上での重要な視点として、寺島氏が先述の著書『ジェロントロジー宣言』の中でフォーカスしたのが、「国道16号線沿いの団地」というキーワードである。国道16号線とは東京をベルトのように取り巻いている幹線道路で、大都市圏に産業と人口を集中させてきた戦後日本における、工業生産力を基軸とした国づくりを象徴するエリアだ。地方から出てきて東京の企業に就職し、ここに居を構えることは、サラリーマンの成功モデルとも呼ばれた。

出典:一般財団法人日本総合研究所

ところがこの価値観が音を立てて崩れつつある。国道16号線沿いの団地で暮らし、働いていた世代がこぞって定年を迎え、高齢化とともに世帯構造が単独世帯(1人暮らし世帯)へと急速に変化しているのだ。こうした高齢者ももちろん社会参画を促したいところだが、これまで職場と自宅の往復ばかりで地域の付き合いをしてこなかった人は、定年退職後、なかなか地域コミュニティとの関わりを持てずに孤立してしまう場合がある。特に男性の高齢者はこの傾向が大きい。

「地方の高齢化と都会の高齢化とでは、まるで意味が違うのです」と寺島氏は語り、「国道16号線沿いの団地にはないものがあります。それは『食と農』です」と問題を提起する。

言われてみれば確かにそのとおりで、国道16号線沿いの団地に暮らす住民の食料自給率はほぼゼロだ。これに対して地方の高齢者は「まだ救いがあります」と寺島氏は言う。暮らしの至近距離の地産地消の農地があり、そこに参画しやすいからだ。

ただ、都会の高齢者にも希望がないわけではない。寺島氏が紹介するのは「浜っ子中宿農園」という事例である。横浜の団地で暮らす高齢者が「長野県でりんごをつくりたい」という思いを抱き、実際にりんご農園を借り受け、地元の人から技術指導を受けながら始めたものだ。毎月当番を決めて本気で農業を取り組んでおり、生産量も品質も年々向上しているという。

もちろん、農業は決して甘い世界ではなく、ついこの前までサラリーマンをやっていた高齢者の誰にでもできるわけではない。しかしそうした中でも、例えば企業で経理業務を担当していた人が生産法人の会計を手伝う、商社に勤めていた人がマーケティングを手伝うといった形の役割分担も起こっているのだ。この結果、「現在ではりんごからジャムやジュースをつくるプロジェクトも立ち上がっています」と寺島氏は語る。

このように都会と地方の交流を促す社会参画のプラットフォームをうまくつくることができれば、今後の異次元の高齢化社会の在り方を大きく変えていける可能性がある。

宗教性も織り交ぜた「知の再武装」が求められる

そして寺島氏がもう1つ、国道16号線沿いの団地に足りないものとして指摘するのが「魂の基軸としての宗教」である。もちろん都会で暮らす高齢者も故郷に帰省した際には必ず墓参りをしているし、正月には神社に初詣に行くなど、全く宗教性がないわけではない。とはいえ、「魂の基軸としての宗教」がそこにあるわけではない。「平たく言うなら死生観がないのです。自分がどのように今を生き抜いて、どのように死んでいくべきなのかなど考えたこともないまま、高齢者になってしまっています」と寺島氏は語る。

したがって都会の高齢者は、例えば末期がんであることを告知された途端に自分をコントロールできなくなり、パニックを起こすことが珍しくない。それが現実なのだ。

このようにジェロントロジーとは、人間の老化現象を生物学や医学だけでなく金融や社会福祉、そして魂の基軸としての宗教も織り交ぜながら統合し、異次元の高齢化によるさまざまな課題を解決するために、「全体知」で捉えるべきものなのだ。そしてこの体系的な学びを通して、自分の生き方と社会の在り方をどのように変えていくか――。われわれの社会を安定的に維持するためには、今まさに「知の再武装」を必要とする局面を迎えている。

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