AIやIoT、ビッグデータなどの技術進化を背景に、個々の患者に最適化されたオーダーメイド医療への道筋が見え始めている。その先駆けとして期待を集めるのが、政府の推進する「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」の1つとしてスタートした「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」だ。今回はそのプログラムディレクターである中村祐輔氏と共に、日本ユニシス代表取締役社長の平岡昭良、さらにプログラムメンバーでもある同執行役員の八田泰秀がAIホスピタルの実現にかける思いと将来像を語り合った。(以下、敬称略)
医療従事者の負荷軽減と
患者と向き合える環境づくり
八田 政府のイノベーション政策の司令塔ともいわれる、総合科学技術・イノベーション会議の活動の大きな柱の1つが「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」です。中村祐輔先生は、2018年度にスタートしたSIP第2期の12テーマの1つ、「AIホスピタルによる高度診断・治療システム」をプログラムディレクターとして率いておられます。中村先生は、これまでシカゴ大学医学部教授をはじめとして世界の第一線で「ゲノム医療」を牽引してこられました。まず、このテーマに取り組む背景やプログラムの方向性についてお聞かせください。
中村 現在、医療や周辺技術の高度化、多様化が進む中で、患者の既往歴やゲノム情報などに基づいて、一人ひとりにとって最適な医療を提供できる時代が訪れようとしています。2015年には、オバマ前米大統領が用いた「プレシジョン・メディシン」という言葉が有名になりましたが、私は20年以上前から「オーダーメイド医療」を提唱してきました。AIやIoT、ビッグデータなどの技術進化を背景に、今、個々の患者に最適化されたオーダーメイド医療が現実になろうとしています。今回の一連のAIホスピタル構想では、それを実現するシステムの開発、社会実装を目指しています。しかし、この一方で、医療の高度化や多様化は医療従事者への負担増大をもたらしている側面もあります。このため、AIなどの技術をうまく使えば、現場の負担を軽減し、医師や看護師がこれまで以上に患者に向き合える環境づくりに資することにつながります。
平岡 中村先生がリードするAIホスピタルは、日本の医療に大きなインパクトをもたらす壮大な挑戦です。日本の高度医療を支えている数々の医療機関、先進技術分野で実績のある多くの企業が参加するプロジェクトですが、そこに日本ユニシスも加われたことに感謝しています。当社は1970年代に日本で初めて医事会計システムの漢字化を実現するなど、長く医療とITの融合領域に取り組んできました。近年では、医療リソースに限りのある、離島における地域医療連携ネットワークにも参画し、各種のデータ共有による医療の質向上、医師や看護師の負荷低減を目指してきました。医療分野での挑戦はまだ道半ばですが、ITの進化やデータ活用などを通じて、必ず突破口を見いだし、次のステージに到達することができると考えています。AIホスピタルは、その重要な契機になると確信しています。
患者との会話から
カルテ生成、理解度や納得度を定量化
八田 AIホスピタルはAからEまで、大きく5つのサブプロジェクト・チームに分かれていますが、当社が参加しているのはBチームです。研究テーマとしては、AIを用いた診療時記録の自動文書化とインフォームドコンセント時のAIによる双方向のコミュニケーションの開発になります。日本ユニシスと日立製作所が主たる役割を担いますが、日本IBMをはじめ多くの企業・組織からの協力を得てプロジェクトを進めています。
中村 日本の医師や看護師は、多くの時間を診療記録の作成に使っています。医師は1日のうち2時間、看護師は2時間半程度を費やしているともいわれます。これは医療従事者の負担増大につながるだけでなく、患者と触れ合う時間が減れば、医療の質の低下という観点でも懸念があります。この取り組みを通じ、AIによって記録作成を自動化できれば、大きな価値を生み出せるでしょう。
八田 Bチームはいくつかの具体的なテーマを設定しています。例えば、音声をテキスト化してカルテを自動生成する。この課題については、米国のスタートアップと協業しています。現在、同社の高性能AIをさらにブラッシュアップしているところです。こうした仕組みが実用化されれば、医師はPC画面を見ながらではなく、目の前の患者の顔色や態度により注意を払うことができるでしょう。
また、インフォームドコンセントにおける課題解決も重要なテーマです。
中村 そうですね。医師の説明を聞いて十分納得していない場合にも、患者が次のステップに進むためにやむなくサインに応じているケースがあります。ここに、かねてのインフォームドコンセントにおける課題があります。
八田 こうした課題に対し、私たちが研究している解決アプローチは、患者の理解度や納得度を客観的に示すというものです。カメラやマイクなどを用いて患者の音声や表情を記録し、視線、動態、心拍数など5つの要素に分解し、解析・統合の上、患者が冷静なのか動転しているのかといった心理状態を推論します。そして、医師に対して「もう少し分かりやすい説明を」とか「話し方をもっとゆっくり」といったレコメンド情報を提示するアプローチです。
実現を信じて開発を進める
医療AI診断・治療支援システム
中村 Bチームの詳しい説明がありましたが、他のチームも意欲的なテーマに取り組んでいます。Aチームはデータの標準化やセキュアな医療情報データベース構築、それを活用した有用情報の抽出、解析技術などの開発を担っています。Cチームのテーマは血液によるがん診断、AIによる内視鏡操作の自動化などです。後者は空間認識技術をベースに、内視鏡の動きをコントロールしようというものです。新人医師でもベテラン並みの操作ができれば、内視鏡検査に要する時間は大幅に短縮され、患者負担も軽減されます。Dチームには、日本を代表する4つの医療機関が参加し、臨床の立場から他のチームと協力し、開発された技術の社会実装化を目指しています。そして、Eチームは全体の戦略や調整を担当しています。これら5チームの活動は、AIホスピタルのサブプロジェクトという位置づけです。こうした先端医療の分野では、残念ながら日本は米国などの後塵を拝しているのが現状です。今回のプロジェクトを通じて世界最先端のAIホスピタルの姿を示したいと思っています。
八田 各チームの成果を集約して生まれるAIホスピタルの中核となるのが、「医療AI診断・治療支援システム」です。これは多くの症例情報や論文などの知識ベースを中核に成長するAIによる診断・治療支援システムの社会実装を目指すものです。その開発は5チーム横断の取り組みですが、日本ユニシスは日本医師会、日立製作所とともに重要な役割を担っています。診断と治療は医師の判断で行われますが、これをAIが支援することで医療の質と効率のさらなる向上を目指しています。プロジェクトの前にそびえる山は高く、世界的に見ても野心的な取り組みといえるでしょう。
平岡 しかし、中村先生は実現できると信じて、「この山に登ろう」とおっしゃいます。その熱い思いに触れることで、私たちは奮い立っています。世界の医療事情に精通する中村先生が示す高いゴールを見据え、「今、何が求められているのか」というバックキャストで取り組みを実現に向けて動かしていく姿勢の重要性を改めて実感しています。
Profile
- 中村 祐輔(なかむら・ゆうすけ)
- シカゴ大学医学部内科・外科 教授/個別化医療センター・副センター長を経て、2018年より公益財団法人がん研究会・がんプレシジョン医療研究センター所長(現職)に就任。1952年、大阪府生まれ。1977年、大阪大学医学部卒業。市立堺病院などを経て渡米。1987年、ユタ大学人類遺伝学教室助教授に就任。帰国後、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター、理化学研究所ゲノム医科学研究センター、独立行政法人国立がん研究センター研究所等の所長を歴任し、2012年よりシカゴ大学へ。2018年に帰国し、現職。武田医学賞、慶應医学賞ほか、紫綬褒章などを受章。
- 平岡 昭良(ひらおか・あきよし)
- 日本ユニシス株式会社 代表取締役社長 1980年、日本ユニバック(現・日本ユニシス)入社。2002年に執行役員に就任、2005年から3年間CIO(Chief Information Officer)を務めた後、事業部門責任者として最前線の営業・SEの指揮を執る。2011年に代表取締役専務執行役員に就任。2012年よりCMO(Chief Marketing Officer)としてマーケティング機能の強化を図る。2016年4月、代表取締役社長CEO(Chief Executive Officer)/CHO(Chief Health Officer)に就任。
- 八田 泰秀(はった・やすひで)
- 日本ユニシス株式会社 執行役員
1984年、日本ユニバック(現・日本ユニシス)入社。2004年に人材育成プロジェクト部長に就任、2005年にビジネスマネジメント部長、2009年にサービスインダストリ事業部 事業部長を経て、2014年より執行役員に就任し、現在はストラテジックアライアンスを担当。