介護旅行を普及させるためには、「ハードウェア(設備)」「ソフトウェア(手段)」「ヒューマンウェア(人材)」を三位一体でそろえ、バランスよく機能させる必要がある。しかし、それを支えるシステムづくりはまだまだ立ち遅れているのが実情だ。その課題解決にAIをはじめとするITを役立てることはできないだろうか――。前編に続き、日本トラベルヘルパー協会会長の篠塚恭一氏と、日本ユニシス フェロー CTOの羽田昭裕、同総合技術研究所生命科学室長の石原英里が語り合った。(以下、敬称略)
介護旅行で欠かせない3つの条件
羽田 介護旅行をビジネスとして捉えたとき、重要な要素としては何がありますか。
篠塚 その前に旅行といっても非常に広い概念を含んでおり、感覚的な表現になってしまいますが、私たちはフォーマット化されたツーリズム(見物)ではなく、あくまでもトラベル(旅)に軸足を置いています。
羽田 日本の文化でいうと、お伊勢参りやお遍路など巡礼や祈りの旅であったり、自分探しの旅であったり、魂の探究がトラベルですね。篠塚さんの著書『介護旅行にでかけませんか トラベルヘルパーがおしえる旅の夢のかなえかた』(講談社、2011年)の中にも、車いす生活を送っている方が、演歌の師と仰いで敬愛する作詞家、船村徹さんの歌碑がある宗谷岬に行きたくて、それも「北海道は、寒いときに行かなきゃあ北海道じゃない」と、あえて厳冬期に旅に出かけたお話しがありました。
篠塚 おっしゃるとおりです。より良き人生のための旅をエスコートするのが、トラベルヘルパーの使命と考えています。では、そこで何が必要かというと、やはり「ハードウェア(設備)」「ソフトウェア(手段)」「ヒューマンウェア(人材)」が三位一体でバランスよくそろって、初めてお客さまに満足していただけるサービスを提供できます。ただ、現実問題として旅先には多くの制約があります。今では病院や高齢者介護施設、あるいは住宅でもバリアフリーが当たり前となりましたが、旅先の施設はバリアだらけです。目的地に行くための手段も限られます。それらの問題を人材が知恵を絞り、補っていかなくてはなりません。
若手スタッフの支援・育成に
AIを活用する手もある
羽田 そうした課題を解決する社会的な新しい仕組みに対して、何か期待されるものはありますか。例えば人の移動手段をサービス化するMaaS(Mobility as a Service)の構想が進んでいますが、単に移動を最適化するだけでなく、着いた先で一人ひとりのハンディをどう補っていくのかが大切です。自動車会社や旅行会社、私たちのようなITベンダーなどが率先し、業界を越えてしっかり議論していくべきと考えています。
石原 人材の育成についても何らかの打ち手が必要なのでしょうね。結局、教科書やマニュアルで教えられるのは、どんな場面でどう行動すべきといった動き方までなので、柔軟に発想する力や心の面をどうやって育てていくのか――。例えば先ほどの宗谷岬へ旅した方も、トラベルヘルパーの後押しがあったからこそ、勇気を持てたのだと思います。しかし、そのようなコミュニケーションができるようになるまでには多くの経験を重ねることが必要で、一人前のトラベルヘルパーを育成するには長い時間がかかりそうです。
篠塚 石原さんのご意見はまさにそのとおりで、実はお客さまからのご相談の電話を私が受けた場合と、若いスタッフが受けた場合では、その後の進み方がかなり違っています。後者は、お客さまがあきらめてしまうケースが多いのです。決してスタッフにやる気がないわけでも、態度が悪いわけでもありません。むしろ真面目すぎるだけに、さまざまな懸念や困難が先立ってしまい、その不安な気持ちがお客さまに伝わってしまうのです。実際にはその気にさえなれば、たいていの旅は実現可能ですので、最初の入口では感情を交えずに対応するくらいがちょうど良いのですが……。
石原 その意味では、AI(人工知能)を活用する手もありそうです。篠塚さんをはじめ豊富な経験をもったトラベルヘルパーの知識や行動をAIに学習させ、可視化することができれば、若手スタッフの対応をナビゲーションできます。
篠塚 なるほど、それは良いアイデアです。お客さまもスタッフも、過度な不安にとらわれることなく一歩を踏み出すことができます。
人生100年時代を迎えた
日本の長寿社会をより健全なものに
篠塚 話は前後しますが、羽田さんのおっしゃった「着いた先でのハンディを補うための仕組みづくり」も非常に強く期待するところです。介護旅行をエスコートする上で何が大変かというと、実は旅そのものの苦労は全体の2割くらいにすぎず、残りの8割の手間と時間がかかるのは、旅先で条件にあった施設を探したり、交渉したりといったコーディネーションなのです。ツーリズムの世界ではずっと以前から整っているシステムが、介護旅行に関してはまだ根本的に欠如しています。そうした部分を、例えば先ほどのAIのようなITで支援できないでしょうか。
羽田 システムが整備されていないというご指摘をいただきましたが、一般的なツーリズムと比べて介護旅行で課題になるのは、お客さまごとのニーズや条件を定量化するのが難しい点にあります。「老い」や「障がい」とは相対的な概念で、もう片方で何を「若さ」「健常」とするのかを設定しないと定義できないのです。そもそも「老い」や「障がい」をいつも区別する必要があるのかどうかも分かりません。また、介護旅行といえども、お客さまは一方的にサポートされることを望んでいるわけではなく、「自分で挑戦したい」「この程度は我慢できる」など、旅に対するモチベーションの強さによっても条件は変わってくるのではないでしょうか。そうした曖昧な状況で、適切に判断するのは簡単ではありません。しかし、一般財団法人 日本総合研究所と10年近く取り組んでいる「幸福度」調査のように、総合的な指標がつくれれば決して不可能なことではありません。日本ユニシスとしても「ー人ひとりの生き方が広がる社会」の実現を目指した研究を進めており、必ず介護旅行やエスコートするトラベルヘルパーの課題解決に貢献できると思っています。
篠塚 ありがとうございます。力強いお言葉に希望が広がりました。介護旅行を普及させる真の目的は、「誰にでも自由な移動が可能となる社会環境をつくること」にあります。私たちのこの取り組みは、人生100年時代を迎えた日本の長寿社会をより健全なものとしていく、ジェロントロジーの新たな潮流につながっていくと確信しています。
(撮影協力:ケンブリッジ・テクノロジー・パートナーズ株式会社)
※次回ジェロントロジー企画は、「より良き人生を実現するためのパラダイムシフト」をテーマに有識者を交えた鼎談を行う予定です。ご期待ください。
Profile
- 篠塚 恭一(しのづか・きょういち)
- 特定非営利活動法人 日本トラベルヘルパー協会 会長
株式会社SPI あ・える俱楽部 代表取締役
1961年、千葉県生まれ。専門学校卒業後、大手旅行会社で添乗員を務め、1984年に人材派遣会社に転職、派遣添乗員などの育成に携わる。1991年に現在の会社を設立し、バリアフリー旅行・介護旅行を専門に手がけるようになる。1995年から超高齢者向けサービス人材の育成を本格的に開始し、2006年に特定非営利活動法人「日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会」を設立。
- 羽田 昭裕(はだ・あきひろ)
- 日本ユニシス株式会社 フェロー CTO
1984年、日本ユニバック(現・日本ユニシス)入社。研究開発部門に所属し、経営科学、情報検索、ニューロコンピューティング、シミュレーション技術、統計学などに基づく、新たな需要予測技術などの研究やシステムの実用化に従事。その後、Web関連や新たなソフトウェア工学に基づく開発技法の理論やアーキテクチャの構築、製造業や金融機関を中心とする企業システムのITコンサルティングなどを担当する。2007年、日本ユニシス総合技術研究所 先端技術部長、2011年から総合技術研究所長に就任。2016年から現職に。
- 石原 英里(いしはら・えり)
- 日本ユニシス株式会社 総合技術研究所生命科学室長
2007年、日本ユニシスに入社。病院向け情報システムや地域医療連携システムの提案・開発に従事したのち、医療・ヘルスケア分野を中心とした新たな社会基盤の構築に取り組む。2016年に総合技術研究所に異動、生命科学室長に就任。