コロナ禍による外出自粛も緩和され、街にはにぎわいが戻りつつある。しかし、局所的な人の流れの集中は、大きな事故などにつながる危険もある。これらのリスク回避に向けて注目されるのが、東京大学大学院工学系研究科教授の西成活裕氏が主導する「群集マネジメント研究」だ。BIPROGYは、西成氏がけん引する国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の未来社会創造事業「個人及びグループの属性に適応する群集制御」に参画。この取り組みの中で、人流における滞留発生メカニズムを解明し、効果的に誘導する手法確立を目指している。今回は、BIPROGYの吉川泰一を交え、西成氏に本研究の成果や、今後の社会への適応可能性、そして目指す未来像について伺った。
人の密集が引き起こす悲惨な事故を二度と起こしたくない
――「群集マネジメント」とはどのような研究なのでしょうか。
西成群集マネジメントは私が提唱し、30年にわたって取り組んでいる「渋滞学」の一部です。自動車渋滞を数学的に扱うことから始まった渋滞学では、世の中のさまざまな渋滞が研究対象です。人流や物流はもちろん、生産性を阻む仕事の渋滞や、アルツハイマーのような身体的な渋滞(※)など、“渋滞”をキーワードにあらゆるものを横串で捉えることができるのです。
- ※アルツハイマー型認知症の原因は完全に解明されていないものの、たんぱく質の一種が脳内に滞ることで発症のきっかけになることが徐々に明らかになっている
その中でも群集マネジメントは、群集をいかに安全に効率よく移動させるかを追究する研究です。学問領域としては数学に加えて心理学など、多岐にわたる分野が深く関係してきます。きっかけは2010年にサウジアラビアで開催された「Transport and crowd management forum」。同国にはイスラム教の聖地であるメッカがあり、年に一度の大巡礼のときには1週間で300万人もの人が集まります。多くの人が殺到するために事故が起きやすく、毎年のように亡くなる方が出ています。この混雑をなんとか緩和したいと考えた国王が、世界中から関連性の高い分野の専門家たち10名を招請しました。感染症の学者や心理学者が呼ばれる中、私にも声がかかりました。そうして約1週間にわたって議論した際に、群集マネジメント研究の必要性を痛感しました。日本も各地で混雑や渋滞が起きているものの、それに対する学問としての体系的な取り組みはなかったことに気づいたからです。その後、各所に働きかけ、2017年に群集マネジメント研究会を立ち上げました。
――日本でも明石市の花火大会で多くの死傷者が出る事故がありましたし、韓国の梨泰院でも混雑で多くの人が亡くなる悲惨な事故が起きました。その背景をどのように分析していますか。
西成例えば、イベントなどで誘導を行う警備会社には群集をマネジメントするノウハウがあると思います。しかし、各社の知見はバラバラで体系的にまとめられておらず、関係者が効果的に連携できる運用となっていないのが現状です。韓国での事故も人災の側面が大きいと考えています。細い道を双方向に通行できるようにしたことや、地上がすでに人で一杯なのに、電車を事故現場である梨泰院駅に止めて人を送り込んでしまったことなどが原因でした。これらは対策が図られていれば防ぐことができたはず。それだけに残念で仕方がありません。ポイントとなるのは、事故を防ぐには「現場対応だけでは不十分」である点です。多くの関係者が連携して事前に対策を練り、全体をマネジメントすることが必要だと考えています。群集マネジメント研究会では、こうした観点から現場をデータで計測して実態を把握するとともに、社会実装に向けたノウハウ確立に取り組んでいます。
データと現場の両面で最適なマネジメントを追究する
――BIPROGYは群集マネジメントにどのように関わってきたのでしょうか。
吉川物流業界を担当していたときに西成先生の渋滞学の講演を聞き、それから親しくさせてもらっていました。そのご縁で、2020年度からのJST未来社会創造事業の「個人及びグループの属性に適応する群集制御」に参画し、共同研究に取り組んできました。持続可能な社会の創出を目指し、社会的価値を生み出すことができる企業へと変革を進める当社にとって、この研究は安全安心で快適な社会を実現するためにぜひとも知見を深めていきたいテーマです。研鑽を積んでいく中では、常に社会への実装を最優先で考え、現場での実証実験に注力してきました。
群集マネジメントでは、実態をデータで把握することが大切です。そこで、東京ビッグサイトのイベントや島根県松江市の由志園で実証実験を重ねてきました。ビッグサイトでは人の動きを計測したり、さまざまな季節の花が楽しめる由志園では、どこでどれくらいの時間、人の滞留が起きるかを計測したりといった取り組みを重ねています。また、広島県尾道市では中心部の商業エリアにレーザー光測定センサー(LiDAR)やAIカメラを設置して、個人情報を含まない人流データを取得しました。継続的な測定によって、感覚ではなくデータで人の流れを把握することができます。これらのデータを踏まえ、現在は一歩踏み込んで地域の活性化にも生かすことができないだろうかと思案を重ねています。
尾道市内での実証実験の概要
――群集マネジメントの研究におけるBIPROGYの活動を、西成先生はどう評価していますか。
西成BIPROGYはとにかく現場主義が徹底しています。常に現場に行って、ニーズを掘り起こしてくれています。大学にとっても、研究のニーズがどこにあるのかを知ることは特に求められていることですので、とてもありがたいです。BIPROGYにはITやIoTのスキルとノウハウがあり、機動力もあります。研究は「まずやってみる」ことが大事ですが、それが実践できるのがBIPROGYの強み。同社が先陣を切って実証実験を進め、データ収集結果を報告してくれることは、他のメンバーにとっても良い刺激になっています。
吉川現場での実証実験によって新たな発見もあります。最初に手掛けた東京ビッグサイトの実証実験では、西ホールアトリウムにて2メートル四方ごとの人口密度を計測し、西成先生が提唱する6段階の指標に沿ってリアルタイム判定し危険度を判定しました。すると、実際の会場はすいているにもかかわらず、危険度が高く判定されるケースが見られました。「見た目の感覚」と「データ」の相違が出ていたのです。そこで翌年、毎秒ではなく、数秒間の平均値で判定するようにしたところ、その違和感はなくなりました。さらに、この分析結果を基にした混雑情報を会場のお客さまに提供して、会場各所に分散誘導することで、全体の混雑を緩和することができました。また、由志園での実証実験では、「人が立ち止まる秒数」に着目して密集度合いを分析しました。1秒から30秒まで細かく刻んで測定したところ、場所ごとで秒数に大きな差が見られました。こうした取り組みを経て、群集の密度を判定する上で、秒数には大きな意味があることが分かったのです。
由志園・牡丹の館での実証実験
西成東京ビッグサイトの実証実験にはハッとさせられました。一般的には人口密度が高いと危険とされますが、それ以上に「密度が持続される時間」が問題だと気づかされたのです。例えば、2~3人組が一緒に歩いていても、1秒間のデータでは「密度が高い」とされます。しかし、想像すれば分かるようにそれは危険な状況ではありません。そうではなく、高い密度がどれだけ「持続」しているのかに着目するのは大きな発見でした。
また、観測する側からはカメラ映像で見ると混んでいるように見えても、その場にいる人たちはそう感じないこともあります。実証実験を通じてデータと現場、両方の観点から研究意義を深めていくことで最適な群集マネジメントの在り方に近づいていくはず、との気づきが得られました。ここに今後、蓄積されていく多様なデータとその分析結果を加えていけば、より一層混雑発生のメカニズムやそのリスク回避に向けて発見は増えていくでしょう。
人とモノの動きを制御し誰もが快適に暮らす社会を実現する
――群集マネジメントの意義についてはどのようにお考えですか。
西成群集マネジメントの意義は大きく2つ。「安全性の向上」と、「サービスの向上」です。まず安全性の向上とは、群集の動きを制御して事故を防ぐこと。そのために、遊歩道設計や誘導看板設置、スマホでの通知、放送によるアナウンスなどを場所の特性に配慮しながら適用していきます。例えば、ご存じのように新宿駅は毎日300万人が利用する世界で最も人が集まる場所の1つです。ところが、コンコースの混雑状況を計測したところ、混雑時でも皆が同じ方向に流れているときには歩きやすいと分かりました。つまり、人びとがバラバラの方向に向かうから危険性が増すことになります。このように、確かなデータ収集と知見の積み重ねが具体的な安全性の向上に向けた施策実現へとつながっていきます。次に、サービスの向上については、各種ノウハウをビジネスに活用していく発想がポイントになります。例えば、約1時間かかっていた空港の入国審査ゲートの渋滞を30分に縮減できれば人の動きも円滑になり、空港の魅力向上にもつながります。また買い物の際に会計待ちの列を制御できれば売り上げがアップするはずですね。こうした側面でも、群集マネジメントの研究は生かされます。
吉川そうした知見を得るためにも、現場で生の声を聞くことは重要です。東京ビッグサイトのイベントでの実証実験では、初日と、最終日の終わり間際に最も人が集まり、しかも特定の場所に集中していることが分かりました。これを分散できれば集客の向上が期待できます。
西成かつてギリシャのヘラクレイトスという哲学者は世の中のすべてのものは変化することから「万物は流転する」と唱えましたが、私は「万物は停滞する」と言っています。人混みはにぎわいでもあり、マイナス要素ばかりではありませんし、楽しいものや美しいものに人は足を止めます。ただし、そこに危険があるのなら回避しなければなりません。
吉川「人が集まりすぎることで生まれる悲しみ」からスタートした群集マネジメントですが、「人が集まる喜び」にも貢献できるようにアイデアを出していきたいと考えています。
――次の研究のステップとしてはどんなことをお考えでしょうか。
西成“人がどこから来てどこに行こうとしているのか”という「Origin」と「Destination」が分かると、群集の制御はしやすくなります。例えば、駅構内の場合です。ある路線から別の路線への人の流れには、それが顕著に表れます。問題はカウントダウンやハロウィン、マラソン、花火大会などのイベント、展示会などによる人混みです。こうした渋滞の特徴は、人びとが明確な方向感を持たずに動いており、OriginとDestinationが分からない点にあります。この状態は「Nomad」といわれますが、そこでのシミュレーションは世界で誰も実現できていません。私たちは今、この課題にチャレンジしています。カメラ映像から人の周期的な動きを読み取ったり、どこへ向かうのかをデータから読み解いたりすることで、パターンを把握してシミュレーションを実現しようと考えています。
吉川常に同じ場所で計測することで、日常的な動きがデータで可視化されます。その上で、何か新しいトライアルを行うと日常との差がデータから見えてきます。新しいトライアルの影響を、経験や勘ではなく、データで把握することができるのです。例えば、集客用のチラシを配布すると人の動きにどんな変化が起きるのか、ノボリを立てると来客数がどう変化するのか、さらにデータ取得の方法に工夫を凝らすことで、人が集まりたくなる効果的な仕掛けを構築するために参考となるデータを集めることもできます。
西成人が集まりたくなる、という視点では、都市を歩きやすくする「ウォーカビリティ」という研究があります。日常の歩行を促すことで健康につなげる面もありますが、都市全体の観光資源としての価値を高める効用もあります。海外ではウォーカビリティプロジェクトも盛んに行われています。
吉川先ほど話題にあげた、尾道市のような地域の活性化を考える上でもウォーカビリティの発想は大事ですね。目的のない街歩きをする人は消費が増えるという指摘もあるので、そのメリットは大きいでしょう。一方で、ブームのような形で一気に人が集まってしまうと、それが危険性につながる場合もあります。データに基づいて群集マネジメントの仕組みをシステム化し、局所的な混雑を回避できるよう汎用性を高めることが必要だと考えています。
――研究を通して知見を深め、方法論などを打ち立てていくことで、どんな効果が得られるのでしょうか。
西成群集マネジメント研究のベースにあるのは「あらゆる人に外に出かける喜びを届けたい」という思いです。その意味では、現在中心的に取り組んでいる混雑緩和だけではなく、高齢者や身体障害者のような交通弱者もサポートできる仕組みづくりも進めたいと考えています。例えば、歩道を通常のものとゆったりとした速度で歩く人のレーンに分離すれば、交通弱者を含む誰もが快適に歩行できるはずです。また、街中にあるトイレの場所を看板などで高齢者や車椅子の人向けに情報提供するだけでも外出時の安心感が変わります。いきなり全国で実現するのはハードルが高いので、まずは限られた区域などで実証実験を行っていけないかと考えています。
吉川今後の展開として、今まで実証実験を通して収集してきたデータを活用することで、自然に危険や密集が回避できるよう、群集のコントロールを実現していきたいですね。群集マネジメントを、多くの人が安心安全、快適に暮らせる社会を実現するために利活用していきたいと考えています。その上で、尾道市のように人を呼び込みたい地方都市などニーズがある場所では、思わず人が集まりたくなる仕組みも現場の人たちとトライ・アンド・エラーで構築していきたいですね。
西成群集マネジメントでは人だけでなく、モノの動きの制御も考慮する必要があります。今はそれぞれ別で考えられている交通や物流、そして人流を、統合して考えることが今後求められます。そうすることで、究極のスマートシティ、誰ひとり取り残さないインクルーシブ社会が実現できるはずです。これからも一緒に取り組んでいきましょう。