多様な分野で急速に進むDX化は不動産業界にも波及している。こうした中、意欲的な取り組みに着手するのが東急不動産ホールディングスだ。同社は、2030年度を見据えた長期ビジョンにおいて「環境経営」「DX」への注力を掲げる。その1つが、同社中核企業である東急不動産が推進するVRやxRなどの仮想現実を駆使した新たな顧客体験づくりだ。従来、分譲マンションの販売現場ではモデルルームが活用されてきた。しかし、ユーザー需要に合致する住居タイプを全て用意するのは難しい。この解決にVRが力を発揮する。VRなら場所や時間などの制約を受けずに顧客ニーズに沿う体験を提供できるからだ。この取り組みにはBIPROGYの「新規事業創出支援プロジェクト」で立ち上がったサービスが大きく寄与している。今回は、東急不動産の池田智紀氏と、BIPROGYの花田祥子にプロジェクトの背景や詳細、今後の展望について伺った。
長期ビジョンで掲げた「環境経営」と「DX」
今、あらゆる産業分野にデジタルが急速に浸透しつつある。不動産業界も例外ではない。こうした中、「不動産DX」に挑戦しているのが東急不動産だ。同社は東急不動産ホールディングスの中核企業。グループには東急不動産のほか、東急コミュニティーや東急リバブルなどが名を連ねている。
東急不動産ホールディングスグループは2021年5月、2030年度を見据えた長期ビジョン「GROUP VISION 2030」を発表した。「WE ARE GREEN」を掲げ、「価値を創造し続ける企業グループへ」との方向性を示した。方針には「環境経営」と「DX」に力点が置かれた。その先駆けとして、2020年4月にDX推進室を設置(後にDX推進部に改編)し、データの有効活用や業務効率の向上、グループ横断的なビジネスモデル変革を目指している。
「私を含めてデジタルに不案内な社員も多く、業界全体を見てもアナログな仕組みが残り続けてきました。しかし、大きな旗印ができたことでグループ社員の意識が変わり始めました。全社的にDX化の機運が高まり、コロナ禍も経て『ここにデジタルを導入すればお客さまが喜んでくれる』『DXでこの業務を改善できる』と想像を膨らませることが可能になりました。さらに社内外の多様な分野のエキスパートと意見交換することで、アイデアが実ることもあります」と語るのは、東急不動産の池田智紀氏だ。
新しい時代の街づくりやライフスタイル提案にテクノロジーは不可欠だ。その一端をマンション販売の現場に見ることができる。例えば、東急不動産が分譲する「ブランズタワー大阪本町」だ。2021年10月にマンションギャラリー「アマ・テラス マンションパビリオン」がオープンし、販売活動が本格化した。大阪市中心部に位置するブランズタワー大阪本町の付加価値の1つは、最上層42階の共用部にある。このスカイテラスやスカイラウンジでは、魅力的な眺望とゆったりした空間を楽しむことができ、夜には大阪の街をあまねく照らす(その印象的な外観から「アマ・テラス」と名付けられた)。アマ・テラス マンションパビリオンには「VRモデルルームxR体験サービス」が用意され、来訪者に住まいと暮らしの新しい体験価値を提供し続けている(xRはVR・AR技術に加えて「experience(体験)」という意味も込められた言葉)。東急不動産とともにサービス開発に携わったパートナーがBIPROGYである。
デジタルの力でモデルルームの限界を突破する
分譲マンション販売に際しては、モデルルームが用意されるケースがほとんどだ。来訪者はモデルルームに身を置き、自分の購入したい部屋の図面から想像を膨らませて暮らしぶりを思い描く。しかし、実際の購入後に「少しイメージが違った」という例もあるという。池田氏はこう話す。
「私たちが用意できるモデルルームは通常、1~2つの代表的な部屋タイプです。他のタイプは、『図面を見て決めてください』とご案内します。お客さまにとって実際の部屋をイメージしにくい部分もありますが、従来はこの方法で販売実績を重ねてきました。この現状に疑問を感じて解決策を考案してきましたが、妙案はなかなか浮かびませんでした」
そんな折に、DXへの注力を明らかにする経営方針が示され、同じ頃合いにBIPROGY(当時日本ユニシス)からVR活用の提案があった。「さまざまなタイプの3次元空間をお客さまが体感できるVRに可能性を感じました」と池田氏。先行きの見えないコロナ禍も重なり、販売不振の懸念が高まっていた。
「当初、コロナ禍についてはビジネスへの影響を測りかねていました。しかし、誰もが外出を控えるようになり、モデルルームも閑散とした状態。東急不動産の販売部門でもテレワーク比率が高まり、担当者は電話などでお客さまをフォローするようになりました。ただ、慣れないやり方のため実績が上がりません。私の危機感も膨らんでいきました。新しい販売手法の必要性を切実に感じていました」
VR分野における両社の出会いは2020年春ごろのことだ。BIPROGYの花田祥子は、「きっかけは、コロナ禍によりお客さまの足がモデルルームから遠のいてしまったことでした。マンション販売における最大の武器であるモデルルームをオンライン接客でも活用するための360度カメラによる空間撮影が最初のお仕事でした」と当時を振り返る。
加えて、全国的にテレワークが一気に拡大し、自宅をテレワーク用に改装する需要が高まっていた。東急不動産においても、モデルルームに訪れた顧客からリフォームに関する質問を受ける場面が増えていた。これを契機に、テレワーク用のワーキングスペース(SOHOスペース)へのリフォームが可能である点を顧客向けに訴求する方針が社内で検討され始めた。ここで、再びBIPROGYに声がかかることとなる。「コロナ禍におけるリフォーム需要に伴い、『リビングの一角にSOHOスペースを作るとどのように見えるか、お客さまにイメージを提示する方法はないか』といったご相談を受けました。まずは、これらをCGで再現する写真合成のサービスを『VRモデルルーム』として提案しました」(花田)
今回のプロジェクトのカギとなる「住環境をVR化する」発想は花田自身の経験から生まれた。「自宅の購入を考えていたときです。例えば、リビングとダイニングを一体化させるためにキッチンのつり戸をなくすリフォームをしたら、どんな空間になるのか。家具を変更したら、部屋の景色はどう変わるのか。インテリアコーディネーターのような住宅のプロであれば、図面やカタログを見てその姿を鮮明に想像できます。しかし、一般生活者には容易ではありません。私は自分の未来の住まいを正確にイメージしたかった。そして、多くの方々も同じ悩みを抱えているはず、と確信していました。当事者としての強い思いを抱きながら検討を重ねるうち、VRやCGによってそれらが可能だと知りました」と話す。花田はこのアイデアをソリューションとしてまとめるため各部門に相談したという。そして、社内の「新規事業創出支援プロジェクト」に応募し、採用されることで少しずつ形にしていった。
「xR」技術でリアルとバーチャルをシームレスに接合
今回のプロジェクトの中核となるブランズタワー大阪本町よりも以前に試行されたのが、滋賀県草津市の「ブランズシティ南草津」である。「全タイプのVRコンテンツを制作するとコストがかさみます。課題をクリアするために家具メーカーに声をかけました。協賛家具メーカーの商品をVR内の部屋に置けば、メーカーにとってVR空間はショールームになります。そんな説明をして家具メーカー5社との協業が実現し、制作作業(家具レイアウト提案)の一部を担当していただきました」(花田)
こうして全17タイプ×内装カラー3色=全51プランのVRモデルルームを制作。マンション購入を検討する来訪者は、家具メーカーが選んだ家具、プロの手によるコーディネートをVR空間で体感しつつ、各モデルを比較検討することが可能となった。家具業界とのエコシステムはその後、試行錯誤を経て本プロジェクトへと引き継がれていく。
さて、ブランズタワー大阪本町のアマ・テラス マンションパビリオンに話を戻そう。ここではマンション最大の魅力の1つである最上層共用部分のうち、「スカイテラス」と「スカイラウンジ」「バーカウンター」のVRコンテンツを用意している。超高解像度のヘッドマウントディスプレイ(以下、HMD)を装着すると、各場所の細部まで実物大スケールで体感できる。
VRではCG空間を体感できるが、アマ・テラス マンションパビリオンではさらに高度なxRによる体験価値も提供される。最新のクロマキー合成を駆使して、CG空間の中に現実世界を取り込めるのである。周囲の眺望やスカイテラスの内装などの環境とともに、そこに販売担当者が動いている3次元映像をHMDで体感することができ、より没入感を得られる。それは、リアルとバーチャルがシームレスに接合した世界だ。
デバイスの質も重視した。アマ・テラス マンションパビリオンが提供する体験は、ブランズタワー大阪本町のプレステージにふさわしいものでなければならない。そこで、高品質のCG空間を体感するためのHMDは選び抜いたという。最終的に採用したのは、フィンランドに本拠を置くVarjo社の複合現実ヘッドセット「Varjo XR-3」。「人の目レベル」とも表現される高解像度は、医療や工業デザインなど高い精密性が求められる分野で世界的に支持されている。トップクラスの高性能機種だけに高価格だが上質な体験価値を来訪者に提供するにはXR-3が最適との判断だ。Varjo社のヘッドセットは、全国の不動産業界に先駆けて導入されたという。このように、多様なデータや各種要素を最適な形で組み合わせて、アマ・テラス マンションパビリオンのxR体験は実現した。「事前に用意されたパッケージを適用するのではなく、現場のご担当者と一緒に悩み、工夫しながら作り上げた新しいサービスです」と花田は語る。この先進的な取り組みは不動産業界だけでなく、さまざまな分野でDXにチャレンジするビジネスパーソンからも大きな注目を集めている。
挑戦はさらに続いているという。例えば、2022年4月からモデルルーム公開が始まった「ブランズタワー谷町四丁目」では、VR技術を「外観VR模型」という形で活用している。開発には、「PLATEAU」のデータを活用した。PLATEAUは国土交通省が主導する3D都市モデル・整備・活用・オープンデータ化のプロジェクトである。PLATEAUの3D都市モデルを活用し、物件と周辺地域の距離感などを忠実かつ高精細に再現している。花田自身も当事者として感じていた、顧客の「見たい」「知りたい」の後押しを、DXを通じて実現し続けているのである。
不動産DXのフロンティアを切り拓く
昔も今も、不動産は特別な買い物だ。ただ、最近は新しい動きも見られる。かつては、購入した住宅やマンションなどに一生住み続ける人が多かったが、「今は住み替えや投資目的で二度、三度と購入するケースが少なくない」と池田氏は指摘する。
「担当者がお客さまとの信頼関係を築けば、10~20年後に再び相談を受けることもあります。価値ある購入体験を提供できれば可能性も高まります。xR体験はその一部。不動産販売のデジタル活用はまだ始まったばかりですが、とても期待しています。お客さまに新しいライフスタイルを提案する、あるいは新しい暮らしを具体的にイメージするなどでデジタルが対応可能な領域はもっと大きいはずです」
さらに、デジタル活用の二歩目、三歩目のアイデアについて池田氏は思いを巡らせる。
「VRやCGなどで表現するデジタルコンテンツは、オンライン販売との相性もいいと感じます。販売プロセスの一部をデジタル化し、デジタルを起点に多様なコンテンツを組み合わせれば、従来以上の顧客体験を提供できるでしょう。最終的には、モデルルーム自体をなくす、という今はまだ無茶とも思える私の“野望”も実現可能になるのではないでしょうか」
池田氏の展望を受け、花田も今後の技術活用像をこう語る。「実は、VRモデルルームの取り組みを進める中で、設計事務所や施工会社、デザイン会社、企画や品質管理担当と、数多くの方に確認していただくのですが、制作途中のバージョンについてフィードバックをいただき、実際の施工を変更した事例がありました。これまでは顧客体験としてのVR活用ばかり考えていましたが、設計段階に取り入れることでより良いマンション設計につながるかもしれない、という気付きを得られたのです。海外の車メーカーではVRゴーグルを利用したデザインレビューの事例もあります。接客はもちろん、設計段階からもぜひお手伝いさせていただけたら、とイメージを膨らませています」
東急不動産のDXは今後さらに加速しそうだ。東急不動産ホールディングスは、先述したDXの注力テーマとして業務プロセス改革などの「ビジネスプロセス」、顧客接点の高度化による感動体験創出を目指す「カスタマーエクスペリエンス」、知的資産活用による新しい価値創造に向けた「イノベーション」の3つを掲げている。同グループが接点を持つ消費者はおよそ1000万人。幅広い顧客基盤と長年蓄積した分厚いアセットをデジタルと掛け合わせて、不動産DXのフロンティアを走る。そんなチャレンジに、BIPROGYは今後も伴走したいと考えている。