大人世代に向けた季刊誌『どきどき』をはじめ、各種シニア向けのマガジンを発行しているソーシャルサービスは、白形知津江氏によって2007年に設立されたベンチャー企業である。広告営業の最前線に立っていた白形氏が大きく人生の舵を切った背景には、与論島での素晴らしい人たちとの出会いがあった。与論島から静岡、東京へ。「人を想うことの大切さ」を基軸に、ソーシャルサービスの事業は時代の潮流と共に変化してきた。2017年には『どきどき』のノウハウをベースに、郵便局で配布する地域向けの冊子事業を開始。冊子の狙いは、地域を元気にすることだ。
広告業界の最前線から地域貢献のために与論島へ
『どきどき』などシニア向けマガジンの出版事業をはじめ、主にシニア市場で広告、通販、調査などの事業を展開するソーシャルサービスは2005年に創業、2007年に法人化された。創業者の白形知津江氏が事業を通じて社会や地域に貢献したいと考えるようになったきっかけは、南の島で暮らす人々との出会いだった。
2000年代の初め、大手広告会社で営業の最前線に立っていた白形氏は、ある広告主の新聞広告シリーズ作成のために1年ほどかけて全国各地の「次世代につなげたいもの」を訪ね歩いた。2003年の夏、最後の訪問地が鹿児島県の南端に位置する与論島だった。
「与論島に『尊尊我無(とーとぅがなし)』という言葉があります。『ありがとう』の意味でも使われますが、そこには自我にこだわらず、出会いに感謝するといった底意が込められています。1泊程度の滞在の間に、尊尊我無を体現する人たちに出会いました。離島医療に取り組む医師や子供たちの教育を真剣に考えて私財を投じる議員。多くの人たちが島のために生きることに何の疑問も感じていないように見えました」(白形氏)
広告業界で厳しい競争に向き合ってきた白形氏にとって、与論島での出会いは新鮮な驚きだった。「当時は、東京で対極的な生き方をしていましたね」と振り返る。与論島にほれ込んだ白形氏は、早速島のために何かをしたいと行動に移した。
東京に戻って与論島の活性化プランをまとめ、それを携えて再び与論島に向かった。町長に直談判したが、結果は散々なものだったという。
「大失敗でした。アートをテーマにした古民家再生とタイムシェアリングによる短期居住を組み合わせた事業をつくり、与論債券を発行して投資家を集めるというプロジェクトを提案したのですが、島の人たちにとってはあまりに唐突だったのでしょう。生涯を懸けて島のことを考えている町長から見れば、甘っちょろいプランに見えたと思います」
白形氏は自身の浅はかさに気づいて、「恥ずかしくなった」という。しかし、諦めはしなかった。
広告会社を辞めて与論島へ
良きものを生かすという課題に向き合う
いったん東京に戻った白形氏は広告営業の仕事を続けながら、30人ほどの社会起業家たちに話を聞いて回った。社会人向けの講座にも通って、環境事業や建築、プロジェクトファイナンスなどを学んだ。その上で、2カ月後に再チャレンジする。
「2回目は、温かく迎えていただきました。1回目とは違って、『この人は本気なのだろう』と認めてくださったのでしょう」と白形氏。そして、広告会社での勤務を続けながら、週末だけ与論島に通う生活が始まる。二足のわらじを履き続けるつもりだったが、プライベートな生活で大きな変化が起きた。
「たまたま、与論に通い始めた時期に婚約して、その後、妊娠していることに気づきました。結婚して"三足のわらじ"までは何とかなると思っていたのですが、母親という4足目はさすがに難しい。そこで、広告会社を辞めて単身で与論島に引っ越しました。2004年初夏のことです」
白形氏には、「与論町まちづくりアドバイザー」「与論島観光協会広報担当」という2つの肩書が与えられた。与論島の魅力を冊子にまとめてメディアに発信し、取材対応に当たりながら、現状の課題を洗い出し、島の人たちと一緒に解決策を考えるという毎日だった。
与論島は与論町のエリアと重なる。1つの島で基礎自治体を形成しており、現在の人口は5000人強。平成の大合併の波には乗らず、ユニークな地域性を大事にしている。かつて、1970年代には観光ブームがあり、年間数十万人が訪れるリゾートとして栄えた。しかし、沖縄の観光整備が進むにつれて差異化が難しくなったこともあり、その後は徐々に観光客が減少。1990年ごろには10万人を割り込み、2000年代初めには6万人程度で推移していた。
地域の活性化に向けて6つのプロジェクトが始動
長期的に低迷する観光業を盛り上げ、島を活性化するためには何が必要か。それは、全国の多くの地域に共通する課題でもある。
「よく言われることですが、"よそ者、若者、ばか者"の視点が大事だと思います。そしてもう1つ重要なことは、"魅力を伝えるチカラ"です。地域の外から見ると、そこに住む人たちとはまったく違う魅力に気づくことがあります。一般に、内側の人たちだけで議論すると、立派なホテルや観光設備が必要といった方向に向かいがち。しかし、『何もないからここに来る』という観光客も多いものです」
白形氏は島中をスクーターで走り回り、公民館などで島の人たちと話し合いを繰り返した。そんな中で、「すべてを自分でやることはできないし、それでは意味がない」と思い至ったという。少しずつおなかが大きくなっている時期だった。
「私はいつまでも島に残ることはできません。では、何を残せるのだろうかと日々悩み、考え至ったのがプロジェクトです。プロジェクトの主役は島の人たち。私はそれを支えるファシリテーターになろうと思いました」
こうして、サンゴ礁の再生や観光客のリピート対策、イベントの活性化などをテーマに6つのプロジェクトがスタートした。町役場や観光協会、ダイビング協会や女将の会など地元の人たちの中から、各プロジェクトに7、8人が参加。課題を洗い出し、短期と中長期の計画を立てて、当事者を主体としたプロジェクトが始動。その中には、大学や企業とのコラボレーションが実現したものもある。
「それぞれの地域に魅力があり、地域に住む人たちにはその魅力を引き出す潜在力があります。地域資源は神社やお寺のような物質的なものだけではなく、そこに息づく人々の気質や温かさかもしれませんし、地場産業の中にあるユニークさかもしれません」と白形氏。違った角度から光を当てることで、地域が思いがけない輝きを見せることがある。与論島で学んだことは、白形氏の今の仕事につながっている。
IT関連事業から紙媒体へ
『どきどき』は30万部雑誌に成長
白形氏は出産の直前まで与論島に居住して6つのプロジェクトに取り組んだ後、拠点を婚姻先の静岡県に移してITビジネスの会社を立ち上げた(後に、拠点を東京に移転)。メールを使って相手にギフトを贈ることができる「メールdeギフト」事業は成長し、その延長上で始めた「ミクシィ年賀状」もヒットした。これはmixi経由で、紙の年賀状を送るサービスだ。2010年には「Japan Venture Awards中小企業庁長官表彰」を受けた。事業は順調だったが、従業員のほとんどは静岡在住の主婦で子育て中のママだった。白形氏の事業には複数の大手投資家が参画していたが、投資家が期待する上場モデルに舵を切ることが難しかったという。
その頃、東京への本社移転を誘ってくれる企業があった。これを機に2012年にソーシャルサービスへと社名を変更し、よりダイレクトに社会課題と向き合えるシニアビジネスへ転身する。ただ、白形氏にとって与論島以来の取り組みはすべてつながっているという。
「人が人を想うことの大切さ。様々なサービスの基本にあるのはそんな気持ちです。メールdeギフトやミクシィ年賀状は、ITの領域で誰かに想われていることの喜びを感じられるサービス。ソーシャルサービスのシニア事業やメディア事業も同じです」
ソーシャルサービスは「人を想うサービスを通して、心豊かな社会に貢献する」という理念を掲げており、季刊誌『どきどき』や通販、広告などの多様な事業にもこの理念が貫かれている。
IT関連事業を立ち上げた白形氏が紙媒体を立ち上げたことは、意外に見えるかもしれない。
「Webメディアの世界は、あまりに動きが速いと感じることがあります。読者をひきつけるために頻繁に更新しなければなりませんし、そのために十分な制作時間をかけられないケースも多い。Webメディアの重要性は今後も増していくとは思いますが、一方で、作り手の想いがこもった手づくりメディアを求めている読者も少なくないのではないか」と白形氏は考えた。
地域を元気にするとのコンセプトで郵便局と連携しオリジナル冊子を発行
『どきどき』で積み重ねたノウハウをもとに、2017年6月に新しい事業が開始された。「ニッポンどきどき探訪 "〇〇〇"にどきどき」という16ページの冊子である。そのコンセプトは「ニッポンを元気に! 地域の魅力発信や普及/啓発に力を発揮するオリジナル冊子」というもの。与論島で育んだ地域貢献への熱意を具体化した事業である。
無料配布の冊子で、そのチャネルとなるのは全国に2万拠点を展開する郵便局だ。2万拠点すべてで配布することも可能だが、基本パッケージは100都市100局の郵便局を拠点としたもの。
6月に発行された第1号「浜名湖のうなぎにどきどき」は、東海地域を中心に100カ所の郵便局で配布され、大きな反響を呼んだ。読者からのはがきが連日届いているという。2号目の「千葉県南房総市の週末ライフにどきどき」は7月に発行。こちらは、南房総市を気軽に訪れやすい首都圏エリアを中心に100カ所の郵便局で配布される。いずれも、郵便局の窓口で対象セグメントの顧客に手渡しされる。いわば"人力セグメンテーション"である。
「各冊子のテーマや内容によって、手渡しする対象が異なります。男性向けの場合もあれば、女性向けに配布したい場合もある。また、対象となる地域や年代も様々。そこで、あくまで見た目ですが、対象セグメントを窓口で見分けてお渡しするようにしています」
日本郵便との事業は、ミクシィ年賀状の頃から培ってきたものだ。当時、年賀状離れが進む若者が、一気に70万枚もの年賀状を利用したという事実はインパクトがあった。以来、白形氏は「郵便局のメールdeギフト」や「ゆうちょクラブのサービス向上」「OVER60全国スマイルコンテスト(60歳以上の笑顔のコンテスト)」など、日本郵便グループとの間で、新しいアイデアやサービスなどを話し合ってきた。
郵便局の全国ネットワークを生かしたビジネスモデルは、与論島で働いた経験と広告会社時代の経験から生まれたという。
「小学校の図書館に置かれるという価値を打ち出して、子供向けに様々な知識をマンガで伝えるシリーズ本があります。自治体や一般企業がスポンサーになっているものも多く、例えば製薬会社は、薬の製造や効果などを子供向けに解説する本づくりに協力しています。大人向けに、信頼のある郵便局を拠点として、同じようなモデルがあってもいいのではないかと考えました」
リアルとバーチャルをつなぐ新しいメディアの可能性
第2号「千葉県南房総市の週末ライフにどきどき」のスポンサーは南房総市である。
「自治体の魅力を伝えるためには、庁内横断的なサポート体制が重要。縦割り組織の壁にぶつかることもあるのですが、南房総市では職員の皆さまが同じ目的に向かって一致団結されていたので、非常にスムーズに物事を進めることができました」と白形氏は言う。
この第2号には、リアル(紙媒体)とバーチャルをつなぐ仕掛けが施されている。日本ユニシスが提供するスマホ向けアプリ「タメスコ」を使って裏表紙の画像をスキャンすると、南房総市の風景を撮影した動画を楽しむことができる。動画を見たユーザーに対しては抽選で旅行券が当たるプレゼント付きだ。
「日本ユニシスさんからAR(拡張現実)のお話をいただいたときに面白い! と思いました。ご当地キャラクターを取り込んだり、地域おこし協力隊員のメッセージを配信したり、位置情報を組み合わせた地図機能のナビゲーションや、スタンプラリー的な展開など、大きな可能性があると思います。また、例えば、日本ユニシスさんの金融決済ソリューションを応用して、電子ギフト付きの年賀状や、地域特産品をはがきで贈る、なんていうサービスも可能ではないでしょうか」と白形氏。
「紙のメディアとWebの融合は、ますます広がると思います。Webメディアを使えば膨大な情報にアクセスすることが可能ですが、興味のあるコンテンツだけに偏りがち。一方の紙メディアでは、それまで知らなかった情報に接する機会が多く、そこから興味が生まれる場合もあります。どちらが優れているというわけではなく、特性の異なるメディアです」
両方のメディアを橋渡しすることで、新しい価値が生まれる。南房総市で始まったリアルとバーチャルの融合を目指すチャレンジは、今後の冊子をはじめソーシャルサービスの他の事業にも受け継がれていくはずだ。ビジネスエコシステムはリアルとバーチャルの間の壁を越えて拡大し、より便利な画期的サービスが創造されるかもしれない。
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