中部電力株式会社は、2019年4月に事業創造本部を立ち上げ、さまざまな形で新ビジネス開発に取り組んでいる。その1つが個人データを活用した価値づくりを目指す「情報銀行」である。2020年3月には、愛知県豊田市で地域型情報銀行サービス「MINLY(マインリー)」の実証がスタート。地元の小売店や飲食店などが参加し、スマートフォンアプリケーションで登録したユーザーに対してクーポンやレコメンド情報などを送る。同社は街のにぎわいを生み出し、地域課題の解決に貢献したいと考えている。今回は、その舞台裏にある思いや今後の展望について取材した。
クラウド上に構築したセキュアなデータ基盤
2020年3月、愛知県豊田市において地域型情報銀行サービス「MINLY(マインリー)」の実証がスタートした。対象ユーザーは、豊田市および周辺の生活者を想定しているという。ユーザーは、スマートフォンアプリケーションを通じて年齢・性別や興味関心、行動履歴・予定などの個人データを預託。これらの情報に基づいて、データ提供先となる小売店や飲食店といった事業者からの買い物情報やクーポンを受け取れる。このほか、豊田市関連の公共施設などのイベント情報なども受け取ることができる。この実証には、約50の事業者、豊田市関連の20施設以上が参加している。
「目指しているのは、地域における『暮らしのプラットフォーム』です。個人の好みやライフスタイルに応じたお得な情報やレコメンドを提供することで、生活者の方々に『これがあるから便利!』と思ってもらえるよう、サービスを充実させていきたい」と語るのは、中部電力 事業創造本部 部長の黒木信彦氏だ。
中部電力は2018年3月に発表した経営ビジョンの中で、コミュニティーが抱える社会課題の解決を打ち出している。そのミッションを担うのが、2019年4月に発足した事業創造本部である。MINLYは、経営ビジョンの実現に向けた取り組みの一環と位置づけることができる。
「基本的な考え方は、テクノロジーを活用した地域課題の解決です。豊田市はクルマ社会ということもあり、駅前や商店街などを歩く人は多いとはいえません。MINLYを通じ、街の回遊を増やすことでにぎわいをつくり、地域活性化に貢献できるのではないかと考えて今回の実証に取り組みました」(黒木氏)
利用者の同意を得て個人データを預かり、第三者に提供する情報銀行サービスであるMINLY。その実現に際してセキュアなデータ基盤は必須だ。「誰にどんなクーポンやレコメンド情報を送ったか」「誰がその情報に反応したのか」「誰がどこの店舗でクーポンを使ったか」。こうした情報を管理するためのプラットフォームを、中部電力は中電シーティーアイ、日本ユニシスとともに2019年度に構築した。
「情報銀行はまったく新しいサービス領域なので試行錯誤しながら進めていく部分もあります。そこで、データ基盤としてはMicrosoft Azureを採用しました。その上でAzureに関する知見が豊富な日本ユニシスにプロジェクト参加してもらいました。今回は、コンセプトそのものが新しい。このためパッケージ製品はほとんどなく、フルスクラッチで開発を行ったので構築期間は7~8カ月程度かかりました」と事業創造本部 データプラットフォームユニット 課長の芦川宏氏は説明する。
MINLYは、一般社団法人日本IT団体連盟から情報銀行としてのP認定を得ている(※)。認定取得に際しては、セキュリティをはじめ多くの要件をクリアする必要があった。「システムのセキュリティを担保しつつ、いかにユーザーや事業者の利便性を高めるか。これらの点が、プロジェクトで最も苦労したポイントです」と芦川氏は振り返る。
(※)IT団体連盟が策定した国際水準のプライバシー保護対策や情報セキュリティ対策などの認定基準に適合しているサービスであることを示す「情報銀行」認定には、「P認定」と「通常認定」の2種類がある。P認定は、サービスが開始可能である運営計画に対する認定であり、通常認定は開始されている「情報銀行」サービスが適切なPDCAによりマネジメントされている状態であることに対する認定となる。
ユーザーが自分のデータをコントロールする
事業者の利便性を高めるための工夫が、MINLYのサービスデザインそのものに埋め込まれている。事業者に個人データをそのまま渡すのではなく、仮名化、統計データ化した上で提供しているのだ。事業創造本部 情報銀行ユニットの酒井宏奈氏はこう説明する。
「事業者向けには、情報配信用のチャネルを用いています。例えば、『夕方スーパーに買い物に行く女性(30代)』に該当するユーザーが何人程度MINLYに登録しているかといった情報を得ることができます。そして、その層に向けてクーポンを配信したとします。事業者は後日、ユーザーがどの程度その情報を閲覧したか、興味を示したか、また実際に店舗に足を運んでクーポンを使用したかについて同じチャネルで確認することができます。この際、個人名は、事業者に知らされません」
MINLYには、大手小売業の店舗に加え、商店街などに店を構える事業者も多く参加している。こうした小規模事業者にとっては、個人データの管理は負荷が大きい。十分なセキュリティ対策を行うには、一定額以上の投資が必要になるからだ。こうした負担感を回避するため、個人情報に配慮した手法が採用された。この点はMINLYの特長の1つとなっている。
また、事業者がユーザー向けに配信したクーポン情報を、他の事業者が閲覧可能な設定を用意したのもMINLYの特長の1つ。クーポン情報を周囲の事業者が見て、「隣のお店がやっているなら、ウチも!」と考えるかもしれない。同じ日に複数の店舗がクーポンを用意すれば、ユーザーにとってはまとめ買いをしやすくなるだろう。こうした相乗効果の創出も視野に入れている。
ユーザーインタフェースへの配慮など、利用者獲得に際しての工夫も凝らした。個人データの預託に際しては、十分な説明を行った上でユーザーの同意を得なければならない。ハードルが高いプロセスだけに適切なサポートも必要となる。「登録時にはサービス内容をきちんと理解してもらう必要があります。長い説明文を表示するだけでは、多くの人が途中離脱してしまいます。そこで、チャットボットを活用し、対話形式で説明しながら必要事項を入力してもらう工夫をしています。初回登録時は最小限の入力ですませます。その後、少しずつデータ項目を追加してもらいつつ個人データを充実させるアプローチを試みています」と酒井氏は説明する。
さらに、預託された個人データのコントローラビリティにも配慮がなされている。MINLYは、ユーザー個人による入力に加えて、アプリの利用によっても各種データが蓄積されていく。例えば、MINLYは「QRチェックイン」機能を有しており、店頭のレジ横や文化施設の会場などに掲げたQRコードを訪れたユーザーがアプリを立ち上げて読み取るとポイントが蓄積される。これにより、「Aさんがいつ、どこに来たか」というデータや「この店のクーポンをいつ使った」「このイベントに参加した」などの情報が充実していく。これらのデータは、ユーザー本人がコントロールすることが可能だという。例えば、「この店からのクーポンはいらない」と思えば、設定変更ができる。一度入力したデータ項目の預託をキャンセルすることも可能だ。こうした個人データのコントローラビリティは情報銀行の重要な要件ともなっている。
「スマートメーター」のデータとの掛け合わせも視野に
MINLYのサービスがスタートして数カ月。新型コロナウイルスにより予定していたプロモーション計画やイベントが中止されるなど多難な船出となったが、それでも7月段階で1500超のダウンロード、登録ユーザー700人以上の成果を上げたという。
「新型コロナの影響で、街を出歩く人は少なくなりました。しかし、事業者の方々からは『こういうときだからこそ、情報発信を強化しないといけない』との声が寄せられました。MINLYへの期待の高さを感じます」と酒井氏は手応えを語る。アフターコロナ時代の課題解決に向けた計画も練っているとし、こう続ける。
「公共施設へのQRコード設置を増やす予定です。ユーザーは、QRチェックインにより、『いつどこに行ったか』という自分の行動をトレースすることができます。もしもクラスターが発生すれば、ユーザーの行動履歴と突き合わせて、注意を喚起することもできるでしょう」
また、新たな価値創造に向けた取り組みも動き出しつつあるようだ。「MINLYを通じてコミュニティーの課題を明らかにし、その解決を図ることで地域活性化を目指していきたい」と黒木氏は強調する。豊田市での実証を続けながら、中部電力はMINLYにふさわしいビジネスモデル構築を進める考えだ。その際、広告収入の確保や、他のエリアでの展開も検討の視野に入っているという。
「クラウド上に構築したデータ基盤では、扱うデータ項目などを柔軟に変更することができます。拡張性にも優れています。豊田市以外でも、自治体や地域に根差した企業などと協業して、MINLYと同じようなサービスを展開していきたいと考えています」と黒木氏は展望を語る。将来的には、各家庭に設置したスマートメーターで収集したデータを、MINLYと組み合わせて活用するなどの展開も考えられるだろう。多様なデータの掛け算による価値づくりは、大きな可能性を秘めている。