対談:「2046年」――ENIAC開発から100年後の世界(前編)

シンギュラリティが社会にもたらすインパクト

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「世界最初の汎用電子式コンピュータ」と呼ばれるENIACが誕生したのは1946年。それから100年後の2046年には、コンピュータやAI(人工知能)が高度に進化したシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えるとされています。『シンギュラリティ・ビジネス AI時代に勝ち残る企業と人の条件』の著者として知られるエクスポネンシャル・ジャパンCOOの齋藤和紀氏と日本ユニシス総合技術研究所所長の羽田昭裕が語り合い、コンピュータの歴史を振り返りつつシンギュラリティの本質に迫りました。

ENIACが誕生した背景と社会に起こした変化
――日本ユニシス総合技術研究所 所長 羽田昭裕

日本ユニシス総合技術研究所 所長 羽田昭裕

ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)とは、米ペンシルバニア大学ムーア校のジョン・モークリーとジョン・エッカートらの研究グループによって開発された「世界最初の汎用電子式コンピュータ」です。稼動したのは1945年末とされていますが、もともと弾道計算という軍事目的で開発されたことから厳重な機密下に置かれており、人々がその存在を知ることはありませんでした。ところが第2次世界大戦はすでに終わっていたことから、ENIACは翌1946年に秘密のベールを脱ぐこととなりました。

ENIACが世の中にどんなインパクトをもたらしたのかというと、例えば「コンピュータ」という概念そのものを大きく変えました。もともとコンピュータとは、人間の「計算手」を指す言葉でした。世界最初のプログラマーといわれるENIACの6人のオペレータも、計算手などの数学が得意な女性たちから選ばれました。それがENIACの誕生以降、皆様がイメージするような「マシン」としての概念が築かれていったのです。

その意味から2046年には訪れるとされるシンギュラリティを展望すると、未来のコンピュータは、果たして現在のコンピュータの概念の延長線上にあるのでしょうか。まったく別のものに変わっていて、「昔の人々はこんなものをコンピュータと呼んでいたらしい」と振り返る時代が来るかもしれないと考えています。

コンピュータであれ、AI(人工知能)であれ、私たちは今、足元にある技術を前提とした議論に終始しがちです。しかし実際には、現時点では思いもよらないものが登場してくる可能性が十分にあるのです。固定観念に縛られたままで未来を"Foresight in sight"することはできないと、『ENIAC―現代計算技術のフロンティア―』(2016年、共立出版)を訳しながら技術史を振り返ってみて、そのように切に思います。

専門家ではない人々の期待こそがシンギュラリティを生み出す

エクスポネンシャル・ジャパン 共同代表 齋藤和紀氏

エクスポネンシャル・ジャパン 共同代表
齋藤和紀氏

齋藤 人間にとって想像力の限界を超えて発想することは非常に難しいのですが、最初考えていたものとはまったく違ったものが、様々な営みの結果として生まれてくる。そんなところにシンギュラリティの本質があるような気がしています。

羽田 実はENIACも同じです。もともと弾道計算という軍事用途で開発されたENIACは、その本来の目的からすると大戦が終結すれば不必要になったはずです。ところが、そうはなりませんでした。おそらく、冷戦下では、仮想的で模擬的な試みが重要になると想定されたのでしょう。この新たな計算機を気象シミュレーションなど、他の用途でも使いたいと考える人たちが現れたのです。軍自身も同じ思いを持ったからこそ戦争終結後も予算を打ち切ることなく開発を続け、ENIACは汎用電子式コンピュータに発展し、その結果として当時のユニバックやIBMなどの商用コンピュータ開発を促し、新しい産業を生み出していきました。

齋藤 当時としてのシンギュラリティがENIACから起こっていたのですね。ただ、そこでぜひ伺いたいのですが、新しく目の前に現れた計算機を「こんな用途で使いたい」と期待する人々の思いと、その分野の専門家にとって常識とされてきた技術の間にあったギャップをどのように埋めていったのでしょうか。例えばAIを取り上げると、財務経理畑を歩んできた私をはじめ専門外の人々にとってAIとは、「人間のように思考するロボット」をイメージします。ところがAIの研究開発に携わる専門家にとってAIとは、機械学習(マシンラーニング)や深層学習(ディープラーニング)のアルゴリズムなどであり、両者の捉え方には大きな乖離があります。

羽田 まさにそれが次の技術的な特異点に向けても大きな鍵になると考えています。専門家ではない人々の期待こそが、まったく新しいものを生み出していくのです。当時は、世界唯一の"スーパーコンピュータ"でしたので、様々な領域から先進的な人たちが集まってきました。ENIACで何がギャップを埋めるきっかけとなったかというと、「プログラムを外付けしてコンピュータを動かす」という仕組みでした。本来、弾道計算などを行うためには、その計算式に特化した機構を設計して実装するのが理想的であり、最も高速な処理を実現できます。これに対してプログラムのような仕組みを持ち込むと、そのコードの解釈や実行など必ずワンクッションが入ってしまうため、どうしても処理は遅くなってしまいます。

齋藤 計算時間を短縮することにあえて目をつぶってでも、より多様な期待に応えていく道を選んだことがシンギュラリティをもたらしたのですね。

羽田 そういうことです。プログラミングという方式を持ち込んだからこそ、ENIACに端を発するコンピュータは、単なる計算するためだけの機械から、科学技術はもとより、今日のビジネスや私たちの生活を支えるインフラに発展することができました。これはENIACの開発に携わっていた研究者にとっても、想像さえできなかった"未来"だと思います。

対談風景

必ず大きな変曲点を迎える時期が来る

――2046年に迎えるとされるシンギュラリティですが、社会にどのような変化をもたらすとお考えですか。

齋藤 そもそもシンギュラリティとは、AIの世界的権威であるレイ・カーツワイル氏が提唱した「科学技術の進歩のスピードが無限大になる点」を指し、人類とAIが融合することで生物学的な思考速度の限界を超越するとされています。とはいえ、シンギュラリティに対するビジョンはこれくらいしかなく、果たしてどんな未来がやってくるのか、まだ誰にもわかりません。

羽田 ただ、ENIACの誕生から100年もたつと、さすがに今のコンピュータは技術的にも概念的にも"賞味期限切れ"になってしまうのは避けられません。累積的進化がなくなったところで、必ず大きな変曲点を迎えます。その先に向かうのがカーツワイル氏の提唱したような世界なのか、それともまったく違った世界なのかはわかりませんが、いずれにしても何らかの変化は起こるというのが私の印象です。

齋藤 その意味でも一つ強く思うのは、来るべき変化をオブザーバー的に語っている場合ではないということです。シンギュラリティは本当に来るのか来ないのか、その未来はユートピアなのか、それとも悪夢なのかといった議論を重ねているだけでは、物事はまったく前に進みません。シンギュラリティの尻尾をつかんだならば、その変化を自分たちの手で起こしてみせるという気概を持ってこそ、この時代に生きている意義があります。(後編に続く